ノート:愛子村

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

愛子村の存否[編集]

愛子村の存在を記す史料はないような気がしますが、どうでしょうか。私は中途半端な知識しかありませんが、中世の宮城県で地名に「村」がつく地域単位はなく、郡-村という体系は仙台藩が藩政初期に全国一律にあわせる動きの中で作り出したものではないかと認識しておりました。近世の初期にまず愛子村が作られ、短期間で分割されたという可能性もあると思いますが、安永風土記には地名「愛子」の由来はあっても分割の言及はありません。初めから上下2村が置かれた可能性も低くないと思います。というわけで、そういう呼び方がある、という内容に書き換えました。もちろん、愛子村分割の説がしかるべき出典をもって書かれるなら、それはよいと思います。--Kinori 2010年5月21日 (金) 14:25 (UTC)[返信]

こんにちは。自然村としての愛子村が、近世初期に分割されたのだと思い込んでしまい、曖昧さ回避を作ってしまいました。出典があるKinoriさんのご意見が正しいと思います。私の早とちりでご迷惑をおかけしてしまい、すみませんでした。--neuropower 2010年5月26日 (水) 06:38 (UTC)[返信]
ありがとうございます。私の考えが間違っていたという可能性もあり、また説として誰か郷土史家が書いているという可能性はもっと高いです。何か見つけましたら書きかえてください。余談ですが、Neuropowerさんの活発な編集から私は常々学ばせていただいております。今後もどうぞよろしくお願いします。--Kinori 2010年5月29日 (土) 02:04 (UTC)[返信]