ノート:徳島水力電気

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史料の記述誤りについて[編集]

徳島水力電気に関する主要史料である『東邦電力史』と『徳島市史』に関して、内容の誤りを書き留めておきます。

まず『東邦電力史』(1962年刊)について。徳島水力電気やそれを合併した合同電気は社史を作らずに消えたため、徳島水力についてまとまった記述があるのは合同電気を吸収した東邦電力の社史『東邦電力史」になります。うち248-253頁に徳島県内の事業の歴史がまとめらています。この部分の誤りは次の通りです。

  • 撫養町の撫養電気について、火力発電によった同社と徳島水力との間に需要争奪戦が生じ徳島県知事などの斡旋で受電に転換することになった、という旨があるが、逓信省の『電気事業要覧』で撫養電気が未開業の段階ですでに徳島水力からの受電を予定しているのが確認できる。従って、そもそも撫養電気が火力発電をしていた事実が見つからない。
  • 1911年12月に徳島水力が徳島電灯を合併した、とあるが徳島水力の営業報告書では増資→事業買収の手続きを採ったとある。
  • 1919年6月に「神通水力電気株式会社」を合併した、とあるが会社名は神通電力が正しい。

一方の『徳島市史』(第3巻産業経済・交通通信編、1983年刊)について。297頁以降が電気事業に関する記述になります。『東邦電力史』を参考資料としているようで上の2つの誤記を引き継いでいるほか、1917年10月に小松島町に小松島火力発電所を新設したという記述があるのですが徳島水力の営業報告書と大幅に異なる年月でした。以上、これらの史料を確認する場合はご注意ください。--継之助会話2020年10月3日 (土) 16:12 (UTC)[返信]