ノート:御木本幸吉

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参考資料は、御木本真珠発明100年史、新渡戸稲造著作集など。幸吉には多くの人々の協力があった事を強調したいこともあって、人名はあえて多く載せた。明治期の人名漏れもあるし、大正・昭和期の幸吉自身の奮闘と人々の協力も当然あったわけだが、母貝増産と真珠産出の特許を確立してからは、「持ち前の商才で販路を広げる」為の別の歴史である。そのあたりの事情は省略した。TF-gene 16:48 2003年9月29日 (UTC)

こんにちは。その時々の社会背景についての言及があるせいか、いろいろなことを考えつつ楽しく読みました。
ところで参考資料は記事の最後に==参考資料==などとセクションを設けて記せたらその方がよいと思いますがどうでしょう。Tomos 18:11 2003年9月29日 (UTC)
こんにちは。参考資料は力作だと思いますが、掲げ方(挙げ方)があまりよくないと思います。一般的な文献の掲げ方の約束事に従って記述した方がよいと思います、折角の資料欄ですから。また、「プレビューを実行」という機能を使うべきなのでは、とも思います。「最近更新したページ」のデータが「御木本幸吉」の連続になって、迷惑に思っている利用者も(わたくしを含めて)いるでしょうから。では。利用者より。

すみません、すみません。「保存されてません」というメッセージがプレビューに残ったまま、画面に Time outの表示が出てしまうんです。それで再送信になったのですが、どういう理屈になっているのでしょうか? 文献のあげかたについての約束事は自分の体験した事のない世界ですから、いったん削除します。TF-gene 10:25 2003年9月30日 (UTC)

重複はトラブルだったわけで、せっかくの記述を全部削除する必要はないと思います。Fx 10:38 2003年9月30日 (UTC)

こんにちは。「文献のあげかた」というのは、Wikipediaへの投稿のやり方、ということではなく、参考文献などを書籍・論文などの「参考文献一覧」や「注記」欄に掲げる際のやり方のことです。一般的には、著者・書名・発行者・発行年(月)、というのが大原則です。たとえば、削除されてしまったいるなかで、

  :《御木本真珠発明100年史》   :平成6年1994年7月 発行者 株式会社ミキモト、株式会社御木本真珠島他 関連会社

という文献は、

  :ミキモト編『御木本真珠発明100年史』、ミキモト、1994年7月(※共同刊行者として、御木本真珠島ほかを併記)。

といったように記述するのが一般的です。その他にもいろいろな方法がありますが、おおむね上記の原則です。では。

こんにちは。余りにもできあがった文章なのでどこに手を加えようか迷っているのですが、現在の文面からすると「真円真珠」の発明者は御木本幸吉氏の様に見えてしまいます。たしか、御木本幸吉氏の自叙伝では志摩郡阿児町の方が発明者だと記していたと思います。かなりの人が「発明者」と勘違いされているのでこの辺りをはっきりさせた方が良いのではと思います。

あと、真珠養殖に至る経緯ですが、養殖を始める前にアワビの真珠を売っていたはずです。この時のアワビの真珠が国内最大の本真珠でパリの万国博覧会にも「御木本真珠」の名前で出品しています。特に漁業者達との付き合いも深く、天の岩戸の信奉者としても志摩の方では知られていますのでこの辺りも書き加えられてはいかがでしょうか。Miketsukunibito 2004年7月29日 (UTC)

2007年6月20日 (水) 13:46の編集について[編集]

世界最大の天然真珠は17世紀ペルシア湾産だそうです。外部サイトは典拠とするには少し厳しいかも知れませんが、志摩中心の方々の編集を否定するには十分だと思います。なおそのサイトには正倉院の天然真珠の大部分はアコヤ貝真珠とあり、天然真珠がアコヤガイからとする『三重県の歴史と風土』という郷土史の記述と一致しますが、アワビの副産物が主とする典拠は私には見出せませんでした。

御木本翁が地元に利益を還元した話は有名で、外宮と内宮の間の数えるのが嫌なほどの数の並木を植樹したり、陸の孤島を解消すべくトンネルに私財を投入した翁が楠を1本植えた程度では特記に値しないので除去しました。海女の信仰云々は仮に事実であったとしても、伊勢神宮崇敬に触れないのはバランスを大きく崩すので除去しました。

「1900年パリ万国博覧会」の話は御木本の年表に書いてないので事実であっても特記に値しないと判断し除去しました。--N yotarou 2007年6月20日 (水) 14:26 (UTC)[返信]


2009年11月23日 の編集について[編集]

ミキモトの資料に寄っているためか、ミキモトよりの記述が多いです。真珠研究に関わった人物をすべて協力者とするなど乱暴に思えましたので、[特許と身近な縁者の協力]の項では、同時代の研究者として、見瀬と藤田を別の文に分けました。

[真円真珠]の項に関しては、御木本幸吉が取得した特許に関して特許紛争がおこっており、実際に御木本幸吉が特許侵害で訴えたものの敗訴している事実もあります。また真円真珠に関する特許は見瀬辰平、西川籐吉が取得したものが最初です。経緯がややこしいため、特許の話が書かれていた[真円真珠]の項は[特許取得]に差し替え、御木本が取得した代表的な特許内容の詳細を載せました。内容が真珠養殖の専門家でないとわからないとは思いますが、客観的に誰が真円真珠の発明者であったかを考察する際には有用です。併せて西川籐吉についても記述しました。 --nakamiti 2009年11月23日 (月) 09:31 (UTC)[返信]

参考資料を復活させました。内容を見るに人名をチェックしたものが多数含まれているのだと思います。 --nakamiti 2009年11月23日 (月) 14:20 (UTC)[返信]