ノート:幕末期の文化

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五稜郭の記述についてほか[編集]

以下、気になる点を何点か指摘いたします。

  • 安政4年(1857年)、箱館にオランダ兵書によった洋式築城がなされた(「五稜郭」、後述)。
五稜郭は蘭書ではなく、武田斐三郎が1855年に箱館へ入港したフランス船から教授を受けた図面等を元に設計されたものです。
  • 安政4年(1859年)には箱館五稜郭
1859年は誤記でしょうか?(五稜郭は1857年着工、1864年竣工、付帯工事含めた完成は1866年です)
  • 福山城(松前城)天守(北海道松前町、火災により焼失)が再建され
福山城に天守が造られたのはこの時が最初です。
  • <注釈>幕府はさらに久保田藩・仙台藩・南部藩・津軽藩・松前藩に蝦夷地警備を命じており、これら奥羽・松前の諸藩は蝦夷地の各地に台場を築いている。
台場ではなく陣屋ではないでしょうか?あと会津、庄内藩も蝦夷地警備に就いてました。

--Iso10970会話2016年5月7日 (土) 11:12 (UTC)[返信]

御指摘ありがとうございます。Iso10970様は五稜郭について大幅に加筆され、北海道の歴史にお詳しい方とお見受けしました。御指摘の4か所のうち、上3点については建築史の本を参照して書きましたが、裏をとってなかったので、おそらくIso10970様の御指摘通りと思います。福山城に関しては誤読した可能性もあります。よろしければ訂正していただけると嬉しいです。幕末の建造物として特筆すべきことを加筆していただけると、さらにありがたいです。最後の<注釈>は、実は私も初耳で「へぇー」と思ったものです。おっしゃる通り、陣屋のことは存じておりました。一応、文化史の項目なので警備の方まで話を広げると軍事史になってしまうかなと思い、台場中心のそんな書き方になってしまったのです。ネット情報だったかもしれませんので、ちょっと裏をとって間違いだったら削除しておきたいと思います。実は書き上げてから何か月も放置していました。ゆきとどかない点が多いかもしれませんので、お気づきになったことがあったらまた御教示ください。--Greenland4会話2016年5月7日 (土) 12:27 (UTC)[返信]
台場の件。久保田藩の増毛陣屋には台場が設けられていたようです。いずれにせよ、書き方がうまくないので改めておきます。
第二台場跡
秋田藩増毛元陣屋訪城記
秋田藩の海防警備
--Greenland4会話2016年5月7日 (土) 21:44 (UTC)[返信]
報告加筆修正しておきましたので御確認ください。--Greenland4会話2016年5月8日 (日) 00:34 (UTC)[返信]

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