ノート:市場姫

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240F:8F:236D:1:34F6:9000:B938:C8DF さんが加筆された・・・真喜姫、もしくは平原正次の娘・・・というのは根拠があるのでしょうか? 文面の前後から考えると辻褄が合いません。検証内容も併せて加筆して頂きたいと思います。否定するわけではありません。それを実証するものが列挙されていれば納得できます。--Funahi会話2021年8月8日 (日) 00:59 (UTC)[返信]

娘・真喜姫[1]、もしくは平原氏[2]・・・・とあるが、平原氏の娘との間の子となると矢田姫を指すことになり、市場姫と矢田姫が同一人物ということになる。これはどう見ても無理がある。一説では矢田姫は松平清康ときょうだいというのがある。複雑な係累関係があり、真贋が定かではないが、いろいろな説を照らし合わせると、平原氏[2]は外したほうがよいように思う。--Funahi会話2021年10月7日 (木) 11:45 (UTC)[返信]


愛知県岡崎市にある隨念寺の寺記にこのようなものがある。・・・・家康の生母於大と生別以来養育してきた清康の妹・久子(於久)が1561年(永禄4年)に岡崎城中で没し、その墓が遺言によって清康の墓とならんで建てられた。・・・・というのがある。矢田姫から地名がつけられたといわれている愛知県西尾市矢田町では、昔から言い伝えられていることがある。それは、矢田姫は、徳川家康の大叔母であり、家康の実際の養母であり、松平清康ときょうだいであるというのがある。真贋は定かではないが、その説を裏付けるものとして、矢田町にある浄土宗西山深草派の寺院である養寿寺の寺記にもある。また、矢田町より約2キロ離れた同宗派の不退院にもその言い伝えが口承されている。家康の異母妹である市場姫が、菩提所を決めるのに、「養寿寺は、矢田姫の菩提所であるから、私は不退院にする」ということが、代々口承されている。これらの内容を総合的に推考すると、矢田姫と言われていた方は、実は清康の妹・久子(於久)のことではないと思われるのである。やや短絡的な説であるので、反論のある方は、ノートに記してください。--Funahi会話2021年10月8日 (金) 05:08 (UTC)[返信]