ノート:岸浩太郎

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この人は現役なんですか?

ジャンル分類について[編集]

この方は今現在専門学校で講師をしている事が確認出来ます。 プロダクションへの所属は確認出来ません。フリーで活動しているという捉え方も出来ますが、俳優、歌手としての活動は皆無です。 この場合、どのように判断するかですね。

ページの私物化はやめましょう[編集]

本人が自分のページを公式サイトのように扱っているのがそもそもおかしいです。 Wikipediaはタレントごっこの場ではありません。

http://www.chubi.ac.jp/facluty/staff/6254/ より

石川浩太郎教職員一覧:職員koutaro ishikawa石川浩太郎 1965年1月 東京生まれ。

もとは、警察官志望であったが、15才のときに杉良太郎氏が主演し、人気を博した ドラマ「遠山の金さん」を観て衝撃をうける。

歌って、芝居が出来るエンターテイナーに憧れ、金さんのエンディングで流れ、 当時大ヒットした「すきま風」の作曲家、遠藤実氏の門を叩いた。

その後、16才のとき当時の東映化学(現・東映ラボテック)の社長、登石崔一氏に 東映16期ニューフェイスにスカウトされ、東映入り。 登石氏は、後に東映動画(現・東映アニメーション)の第4代社長に就任、本人も 数十年後に練馬のアニメーションに関わることになるという、不思議な縁である。

17才の時、NTV「スター誕生」において合格し、第一プロダクションに専属契約し、 19才でテイチクレコードから、作詞:阿久悠 作曲:市川昭介両氏による新しい 演歌「抱きしめたい」でデビューし、その後は歌謡番組、時代劇、特撮番組などで 活動した。第一プロに専属契約をした直後から、歌手の小林幸子氏が実質の師匠である。

30才を機に、表方から声俳優養成所の講師を6年つとめ、制作会社・制作メーカーの プロデューサーに転進し、また製作販売メーカーの監督、営業部長、練馬アニメーション 協議会の事務局局長補を経て、現在に至る。練馬アニメーション在籍中にはタレント 活動にも復帰、会津親善大使も拝命した。

表方、裏方の両方の経験を活かし、仕事に臨んでいる。 詳細は、WIKIPEDIAをご参照ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/岸浩太郎