ノート:岡田光玉

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世界真光文明教団教祖、としつつも記載内容は崇教真光に関するものが多く見受けられ混乱。 両団体における開祖であるので、記載ないようにあわせて真光系最大の崇教真光として記載をするか、世界真光文明の内容に統一するかしたうえで、2教団ある補足をした方が説明会ページとして適切と考える。

また、墓地、死因(事実確認不明)、別名?、等等、個人情報暴露が目的の様な状態であり、外部者からすると非常にわかりにくい。 岡田光玉という人間が、どういう人物で何をした人なのか、他の宗教団体・教祖紹介の記述方式を参考に修正すべきと考える。

百科事典風に。宗教研究家

検証可能な内容[編集]

参照元不明な情報は、一旦ノートに写しておきます。--宗教研究家会話2020年12月7日 (月) 03:49 (UTC)[返信]

同年、妻と離婚。親類縁者と絶縁状態になる。1960年の安保闘争では、岸内閣の意を受けた児玉誉士夫の要請に応じ、生長の家などと共に信者を「警官補助警備力」として動員した。

『火の洗礼』の前後にメシア(救世主)が現れると教義にあるが、神示に元付き『魁のメシア』という位置付けを教団内ではしていた。初期研修会では薬害を批判し、薬害問題追及で活躍していた高橋晄正を講演会に呼んだり、環境問題にも関心を示した。

参院選全国区で矢田ワ一(1971年)、内田芳郎(1974年)を推薦、組織を挙げて応援したものの、何れも落選した。