ノート:山井崑崙

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この頁問題があります。(1)山井崑崙は考證學者とは言えません。『七經孟子考文』は校勘の書であり、考證は行っていません。校勘と考證は分けて考えるべきです。(2)山井家が崑崙死後弟により継がれたのは事実です。しかしこの山井家は武士身分を失い、和歌山に農家として定着します。幕末にいたり和歌山藩主の命により末期養子を入れ學問の家としての山井家は復興します。(手許に資料がないので詳しく書けませんが、誰が末期養子として入ったかは分かっています。)この復興山井家から東大名誉教授山井湧が出ています。このことも書いた方がよいでしょう。--行險樓会話2020年11月28日 (土) 08:31 (UTC)[返信]