ノート:小鹿範慶

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

小鹿範慶は、小鹿範満の父小鹿範頼の弟ではないか?孫五郎は範満の弟におり、混同していると思われる。--立志堂 2010年3月27日 (土) 08:14 (UTC)[返信]


なんか、変ですね。『室町幕府守護職家事典(上)』/新人物往来社・1988年の今川氏の項目に静岡大学の小和田先生の作成した系図があったので、それを基にした該略図を下記に載せます。
   (今川)
      範政(上総介)
      ┃
            ┣━━━━━┳━━━━━┳━━━━━┓(小鹿)
      範豊    範忠        範満        範慶(式部大輔)
           (今川)                    ┃
   ┏━━━━━━━━╋━━━━┓            ┃
   義忠┰北川殿      範勝      範慶(孫五郎)  範頼(小五郎)
     ┃                                     ┃
     ┃                                     ┃
        氏親(治部大輔)                     範満(新五郎)
  • 当系図の注によると『今川家譜』・『今川家略記』・『寛政重修諸家譜』などを参考に小和田先生が作成されたようです。
これを信ずるならば、範慶という人物は、第5代(今川氏7世)当主範忠の弟で小鹿姓を称し式部大輔を称した人物と、その範忠の子で孫五郎を称した人物と2人あった様に見受けられます。つまり、小鹿範慶の甥にあたる人物が孫五郎範慶ということでしょうか。なお、氏親の家督継承を拒み、伊勢宗瑞に誅された小鹿範満はむろん小鹿範慶の孫のほうです。孫五郎の方は摂津守と称した事の他に詳細がわかりません。
それと本文に氏忠という記述がありますが、これは氏親の父で第6代当主(今川氏8世)義忠の誤記でしょうね。--故城一片之月 2010年4月5日 (月) 13:28 (UTC)[返信]
それにしても、小鹿範満と同名同字の「範満」は今川範忠の弟(かつ小鹿範慶の兄)にも弥五郎と称する今川範満がおり、また上記掲載部分よりも前の代に今川範国(五郎・今川氏3世・駿河今川家の初代当主)の兄にもう一人別の範満(次郎・刑部少輔)がいて、中先代の乱で戦死したと云いますから、余計に混乱を誘います。2人の「範慶」と3人の「範満」の関係の中に重複や所伝の混淆もあって不思議じゃないですが、出典別に併記する事態もあり得ますか?--故城一片之月 2010年4月7日 (水) 18:39 (UTC)[返信]
「氏忠」は確実に間違いなので、「義忠」に直します。--故城一片之月 2010年4月9日 (金) 08:52 (UTC)[返信]

すみません、黒田基樹先生は小鹿孫五郎は範満の甥で、範満の弟の名前は某(すなわち不詳)で、大塚勲氏の説を引用して範満の弟=孫五郎の父が安房守を名乗っていた可能性がある、と記されております(出典は、黒田基樹「今川氏親の新研究」『シリーズ・中世関東武士の研究 第二六巻 今川氏親』(戎光祥出版、2019年4月)P22-25.)。なお、黒田氏の記述は孫五郎の庶弟に民部少輔(後に安房守)と名乗っていた人物がおり、氏親の小鹿氏懐柔のために瀬名氏貞や葛山氏広、関口氏兼とともに御一家として登用されたとする記述です。--水野白楓会話2019年11月11日 (月) 17:48 (UTC)[返信]

更に追加になりますが、大石泰史先生は今川範忠は実は範政の嫡男ではなく、甥であるとした論考の中で『満済准后日記』永享5年4月14日に今川弥五郎が上総介(範政)の二男であると書かれた記述があることを紹介された上で、範政の子は長男が五郎範豊、次男が弥五郎範勝、三男が上杉氏定の娘が生んだ千代秋丸(与五郎範頼)と書かれております(出典は大石泰史「今川範忠に関する基礎的考察」戦国史研究会 編『論集 戦国大名今川氏』(岩田書院、2020年) ISBN 978-4-86602-098-3 P42-46)。また同じ論集に収録されている黒田基樹先生の論考(「今川範忠に関する基礎的考察」『論集 戦国大名今川氏』 P71-72)も、範忠の弟は弥五郎範勝と与五郎範頼で、小鹿範満は今川義忠の従弟(すなわち、範頼の子)と記されております。
申し訳にくいのですが、本日偶々大石泰史先生の『城の政治戦略』(角川選書、2020年)を購入したのですが、この問題を再論すると共に、義忠の問題に関連して、今川氏の系図には千代秋丸らを範忠の子と記したり、義忠の兄に範頼という人物がいたという事実と異なる系図が伝わっていると指摘されております(ただし、義忠の仮名が彦五郎なのは、範頼という名前が間違いだとしても兄がいた可能性までは排除できないと書かれております)。--水野白楓会話2020年12月26日 (土) 14:36 (UTC)[返信]

大石説と黒田説を合わせるとこんな系図になりますね。つまり、この系図だと、千代秋丸=小鹿範頼なので、小鹿氏の初代当主としての範慶は存在しない事になります。従って千代秋丸=小鹿氏初代当主の記事名は小鹿範頼で立項されるべきですね。--水野白楓会話) 2020年12月26日 (土) 01:24 (UTC)(一部修正)--水野白楓会話2020年12月31日 (木) 13:43 (UTC)[返信]

   (今川)
      泰範
      ┃
            ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
      範政(上総介)                    泰国        
      ┃                      ┃
            ┣━━━━━┳━━━━━┓(小鹿)      ┃
      範豊     範勝        範頼     範忠(範政養子)
                  ┃          ┃                 
            ┏━━━━━┫    ┏━━━━━┫                        
             安房守某    範満        兄?      義忠┰北川殿 
            ┃                  ┃                 
      ┏━━━━━┫                 氏親                    
        孫五郎(範慶)民部少輔某(後、安房守)