ノート:富嶽

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空冷複式22気筒「ハ115」[編集]

ハ115は海軍で言う栄21型のはずです。--123.230.91.29 2009年4月24日 (金) 13:01 (UTC)[返信]

そうですね。富嶽に使用する事が検討されていたのは、三菱のハ五〇の筈です。 酣燈社「知られざる軍用機開発」や広済堂「幻の新鋭機」など、手元にある新旧の書物でもそうなっています。本文でも、富嶽のものとされるハ五〇が発見されたことに触れていますし。 間違いが指摘されなければ、こちらに修正したいと思います。--Tamihito 2009年12月27日 (日) 01:31 (UTC)[返信]

修正しました。--Tamihito 2010年1月3日 (日) 12:18 (UTC)[返信]


楕円翼[編集]

今までに知られたZ機、富嶽の外形図は直線テーパー翼ばかりだったと思います。 楕円翼の6発爆撃機の略図はありますが、これはかつて軍需省・川西の渡洋爆撃機TBのものとされ、しかも否定された(TBは直線翼4発)出所不明のものです。--Tamihito 2009年12月25日 (金) 16:17 (UTC)[返信]


一部自己訂正します。上でも触れている酣燈社「知られざる軍用機開発」に採録された昭和30年の記事で、この楕円翼の6発爆撃機の平面図が富嶽として流布されているという趣旨の記述がありました。 ただ、実際のZ機・富嶽のプランは楕円翼では無かったという事は、上記の記事にも、本書発行時(平成11年)の解説記事にも記述があります。--Tamihito 2009年12月29日 (火) 13:36 (UTC)[返信]


修正しました。--Tamihito 2010年1月11日 (月) 13:08 (UTC)[返信]


キ74[編集]

キ91と異なり、キ74の開発は中止されていなかった筈です。--Tamihito 2009年12月25日 (金) 16:22 (UTC) 上記を踏まえ、「陸軍のキ74とキ91の開発が進められたが、キ91は開発中止、キ74は審査中に終戦を迎えた。」ではどうでしょうか。--Tamihito 2009年12月27日 (日) 01:31 (UTC)[返信]

初飛行したB36の試作機はレシプロ機関のみ(ジェットエンジンを搭載していない)と思われます。[編集]

『戦略爆撃機B-36は、推進型に配置された6発のレシプロエンジンと、翼端にさらに2基ずつのジェットエンジンの計10基の発動機を推進機関とした上で、第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)8月8日に初飛行を行い、(後略)』とありますが、計10基の発動機を推進機関としたのはB-36D以降となります。初の武装型であるB-36BはR-4360-41 エンジン(3,500馬力)6基搭載ですのでレシプロ機関のみとなります。--高堂升平会話2023年3月30日 (木) 07:42 (UTC)[返信]

参考:英語版より『最初の試作機 XB-36 は 1946 年 8 月 8 日に飛行しました。試作機の速度と航続距離は、1941 年に USAAC が設定した基準を満たしていませんでした。必要なプラット & ホイットニー R-4360 エンジンがまだ入手できなかったため、これは予想されていました。 、そしてそれらを設置するために必要な資格のある労働者と材料が不足していました。』--高堂升平会話2023年3月30日 (木) 11:34 (UTC)[返信]