ノート:宮本輝

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(質問)本文の3段落目の以下の記述について、御尋ねします。

「創価学会の会員でもある」

加筆された編集者の御方に対して大変に失礼なのですが、以上の記述は事実なのでしょうか? 寡聞にして、宮本さんが創●学会の信者であるとは、全く聞いた事が有りません。-- 2005年5月1日 (日) 10:04 (UTC)[返信]

その人は、たぶんネットの情報を鵜呑みにしてしまったのではないですか? 私は、あるサイトで「新興宗教に入っている有名人リスト」とか言うやつを見たのですが創価学会の欄の中に彼の名前が入っていました。 たしか、文人なら俵万智とか畑正憲(畑正憲については文人と呼べるかどうかは疑問ですが)なんかも載っていましたよ。そのリストには。

―1977年に自身の幼少期を描いた『泥の河』― とありますが、著者は『命の器』というエッセイ集の中で「…まったくのフィクション…」であり、私小説ではないと言っていますが、「幼少期を描いた」とはどういう意味でしょうか?


宮本さんの「無言の叱責」というエッセイに次のような記述があります。

“ 私は昭和47年の10月、25歳のときに、日蓮正宗創価学会に人信した。

 自分が、得体の知れない奇妙な病気にかかったことが一番の動機であるが、これほどまでに世間やマスコミに攻撃されつづける宗教は、あるいは途轍もない哲理を掲げているのかもしれないと感じたからであった。

 私が小説家になろうと決意したのは、それから3年後であり、『螢川』で芥川賞を頂戴したのは、さらに3年後であった。”

また、2014年7月6日に開催された、兵庫SOKA青年大会というイベントでご本人が信仰体験の発表されています。 --Amyupa cider会話2014年11月16日 (日) 02:33 (UTC)[返信]