ノート:大坂城

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ノート:大阪城から転送)

>かつての豊臣氏の勢威を凌駕する徳川氏の威信を西国に示す役割が、徳川大坂城には期待されたのである。

この表現では弱すぎないでしょうか?

>かつての豊臣氏の勢威を凌駕する徳川氏の威信を全国に示したと言える。

この方が良いと思う。徳川氏は期待したのではなく抹殺しています。将軍が大阪城を直轄していることや後に秀吉一族の遺骨までも掘り起こし全国に粉砕したと言われています。これは豊臣家の復活を恐れ完全に封じこめることを意味しています。ロリ 05:34 2003年12月13日 (UTC)


>大阪城天守閣は、大阪市のシンボルとして現在も大阪城公園にそびえ立っている。

この一節は現在のことなので全体の文章構成から言って最後に来るのが適当だと思いますが。ロリ 05:39 2003年12月13日 (UTC)


こんにちは。大阪城.jpgをアップしましたので、よろしければご利用下さい。--すぐり 2004年10月6日 (水) 08:48 (UTC)[返信]

誤字有り[編集]

徳川大坂城の本文中、豊臣大阪城と書いてあった。阪は坂とすべきだろう。

記事名[編集]

Ukyoさん、議論しないで移動するのはリソースと時間の無駄ですのでやめていただけませんか? 
日本の文部省検定教科書は、一つの基準にはなるでしょうが、ウィキペディアはそれだけを基準に記事名を決めてはいません。議論なしで移動する理由にはなり得ませんので、よろしくおねがいいたします。

で、二つほど加えておきます。1つ目、記事の移動保護をかけました。2つ目、私自身はこの記事名に関してはどちらでもよくて、むしろ、議論になるぐらいなら、教科書に従うのもありかなという立場ですが、それでも Ukyoさんの行動は性急過ぎると感じました。記事の移動保護をかけるか、 Ukyoさん自身を編集ブロックするか迷ったということは申し添えておきます--すぐり 2007年9月21日 (金) 15:17 (UTC)[返信]

リソースの無駄は置いといて。
とりあえず「大阪城」からも「大坂城」にはリダイレクトされているんだから、不便はないと思う。歴史がからむ項目について、今の知識のみに基づいて編集をするのは、迷惑だからやめてほしいと思う。
おれは、この項目は「大坂城」に置いておき、「大阪城」にはリダイレクトを置いておくのが正しいと思う。今の呼称に疑問を持たないひとには「え?」という驚きを与えることができ、もともと歴史的な正式名称を知っているひとには「わかってるじゃん」と思ってもらえるからだ。そのあたりがわかってないやつは、歴史項目の編集なんかしないでほしいなあ。--Nekosuki600 2007年9月21日 (金) 15:28 (UTC)[返信]

保護タグ[編集]

「移動保護」の大きなタグが本文冒頭にありますが、これを「コメントアウト+説明」に代えるか、またはノート冒頭に貼るのではどうでしょう。「移動するかどうか」の議論が必要とは思えないのです。--miya 2007年9月22日 (土) 07:21 (UTC)[返信]

今、大阪城を大坂城に戻すのに「2007-09-20T17:01:30; Lemonさんの版」に差し戻したため、保護タグ無しになっています。保護タグ無しではいけませんか? どうしても必要ということであれば、せめて{{移動保護S}}にしていただきたいのですが。--miya 2007年9月22日 (土) 07:29 (UTC)[返信]

私もページの冒頭に保護タグは必要ないと思います。ウィキペディアは百科事典ですので閲覧する人を第一にページレイアウトをするべきです。現状では編集する人第一のレイアウトになってますね。保護タグは閲覧する人にはなんの関係もありません。--Satoshin 2007年12月10日 (月) 07:55 (UTC)[返信]

太閤さんが建てた城[編集]

豊臣政権の本城であったが、大坂夏の陣で焼失し豊臣氏が滅亡した後再建され徳川幕府の西日本支配の拠点となった。したがって、しばしば大阪の人がいう『太閤さん(豊臣秀吉)が建てた城』というのは正確には間違いである。 とありますが、意味が良くわかりません。 尤も、三代目を建てたのは関さんですから、「『太閤さん(豊臣秀吉)が建てた城』というのは正確には間違いである。」というのは正しいと思いますが、上記の表記では「太閤さんではなく徳川さんが建てた」というふうな意味になっています。今も徳川さんが建てたものが残っているのならそういう表現もできますが、何かおかしくないですか? TtPÍPICH[talk]UTC:2007.10.5(金)08:15


はじめまして"ムカイ"といいます。城郭関係(特に天守建築に関すること)を見させていただいています。こちら(大坂城)にも多少ですが、加筆などさせて頂きました。
早速ですけど

>太閤さんではなく徳川さんが建てた」というふうな意味になっています。今も徳川さんが建てたものが残っているのならそういう表現もできますが、何かおかしくないですか?

もちろん、大阪城天守閣(復興天守)は関さんが建てたものですが、復興天守意外、現在見られる表面上の遺構(石垣や堀等)全てが徳川時代のものであるという意味だと思います。今でも徳川時代の幾つかの櫓や門なども現存していますから、徳川さんが建てた城というふうに捉えられる表現でも間違ってはないと思います。しかも『大阪城天守閣』に関しても付記してありますので、ここを詳しくする必要はないと思います。--ムカイ 2007年10月8日 (月) 02:42 (UTC)

大阪の人がいう、「太閤さんが建てた城」は現在の遺構云々の事を言っているのではなく、大阪の英雄である豊臣秀吉が建てた城という心情的な事を言いたいのだと思いますので「太閤さんが建てた城」は間違えではないと思います。元々の築城者は秀吉ですから、問題の部分は必要ないと思います。築城主の欄に「豊臣秀吉」としっかり記載されているではありませんか。「太閤さんが建てた城」が間違えだと言うなら、築城主も徳川秀忠にするべきです。--Satoshin 2007年12月19日 (水) 23:02 (UTC)[返信]

導入部における時代区分の変更について[編集]

Saigen Jiroさんより、「江戸時代初期に限る理由が全く不明」とのご指摘によって、「安土桃山時代から江戸時代初期」が「近世」に変更されました。

この変更された時代区分の表現方法については問題があるのではないかと思われるため、問題提起をいたしました。

「安土桃山時代から江戸時代初期」とした理由は、前文の「摂津国東成郡大坂に築かれた」が大坂城築城を意味し、後文の「安土桃山時代から江戸時代初期」はそのおおまかな築城時期を示すものです。

時代区分について再調査を行ったところ「中世」「近世」の記事をご覧になってもわかるように中世と近世の境目が様々であるので、再調査後の私の認識としましては近世の画期が豊臣政権樹立後や豊臣氏の滅亡後、徳川幕府成立など諸説ある部分となっているため、「近世」という表現はそれらの内の1つの説を推し進めることとなる恐れがあり、中立的観点に抵触する可能性が考えられます。ここでは時代区分をあまり表現できない、または時代区分を記述する場合は江戸時代などのより細かい区分を使用するほうがより適切に表現できる可能性があります。ご意見をよろしくお願いいたします。--ムカイ会話2016年3月19日 (土) 09:40 (UTC)[返信]

どうもです。少なくとも私は「城が築城された時期」ではなく「城として機能した時期」を記すべきと考えます。明らかに中世山城ではありませんので、近世城郭として大雑把に「近世」と改めたものです。--Saigen Jiro会話2016年3月19日 (土) 10:36 (UTC)[返信]
(追記)ご指摘はご指摘ですし、私がおかしいと感じたのは「初期」の文言でしたので、それ以外について当該記述を戻します。--Saigen Jiro会話2016年3月19日 (土) 11:09 (UTC)[返信]
早速ご対応くださいまして、ありがとうございます。
“「城として機能した時期」を記すべきと”
姫路城での過去の議論にモデルケースとなる議論があり、現在の姫路城のノートで議論されている以前の議論「ノート:姫路城#今後の修正について(「あった」と書かれると強い違和感が)」において、私が当時主張していました「現在の城を現役と見るか」の観点が参考文献不足で独自研究、および中立的観点抵触を指摘され、残念ながらそれを覆すに十分な資料(二次・三次資料)が確認できなかったため、その姫路城における議論では合意に至りませんでした。大坂城のこの部分についても同じことが言え、もし参考文献として「現役の城でない」と複数確認できないのでしたら同じように独自研究や中立的観点抵触を指摘されてしまう可能性があります。姫路城の議論での私の方の調査では、はっきりと「姫路城は城跡だ」などと書かれた文献は見出せませんでした。もし、そのような文献(「大坂城は○○年まで城として使われた」という風に書かれてあるもの)が普遍的な認識として存在するのでしたら、大坂城においてもそうした表現も可能ではないかと私は思います。あるいはプロジェクトの方で話し合われるべき全体的な話題なのかもしれません。蛇足が過ぎましたが、ご参考までに。--ムカイ会話2016年3月19日 (土) 14:43 (UTC)[返信]
築城のことだけ書く、という趣旨を先の議論で述べていらっしゃいましたが、「江戸時代初期に姫路大阪に築かれた城(or姫路大阪に江戸時代初期に築かれた城)」と「姫路大阪に築かれた江戸時代初期の城」は意味が全く異なりますよね。素直に読めば、前者は築城時期を、後者は機能時期を述べていると受け取りますので、修正を加えた次第です。機能時期については、『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)では大坂城について「戦国期から江戸期の城」とありますから、「江戸時代まで」は一般的表現の範疇にあると考えます。大坂城・姫路城含め現在の日本の城が現役でないという点については、先の議論で当たり前のものとして皆様一致していたものと考えます。先の議論の主旨は『「あった」か「ある」か』であって、その上で「機能を失った事実は「ある」と定義づけることを妨げると認識されていない」という意見も出たものと理解しています。「城」という言葉にはすでに「過去のもの」という意味があるのでしょう。築城時期・機能時期・時期記載なしのいずれでも良いという考えに変えますので、その上で誤解を招かない表記であれば反対しません。--Saigen Jiro会話) 2016年3月19日 (土) 22:49 (UTC)(修正)--Saigen Jiro会話2016年3月19日 (土) 23:19 (UTC)[返信]