ノート:大西泰斗

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本文の記述全体に、中立性の観点から疑問を呈する。「大西によって英文法は、英語を分析するための手段から、英語を生産するための手段に生まれ変わった」「講演は…ハートフルである」などの記述は、Wikipediaの定義する「中立的である」という用件「絶対的で交渉の余地がない」“absolute and non-negotiable”を明らかに満たしていない。

イメージ項目の記述に関して[編集]

大西が当初から目指しているものは、イメージによる英文法の再構築である。

数年前までそうであったが、この頃は形式意味論に傾倒して、 イメージ(→体感)に基づくパターンの提示による英文法の再構築を目指すようになっている。

「当初から」を「当初」若しくは「目指している」「である」を「目指していた」「であった」 とした方がいいと思う。


近況の講演会での大西曰く 「ことばはパターンが支配し、人はある場所・ある状況においてその場に合う少数のパターンを駆使しているだけである。ネイティブが英語を聞き取れるのは何も音素を推測する能力に長けているからではなく、そのパターンを予測しているからである」 とする。 さらに文にもパターンがあり、既存の5文型を基にして配置パターンとイメージを融合して語感を体感の域まで引き上げる事を目指しているようだ。

まだこの試みに関してまとめられた著書はないが、160~200のパターンを提示して、その体感を感じるだけで英語が話せるようになる事を目論んでいるようだ。

ただ上記の話は、本人が講演会や公式サイト掲示板で発言しているが、Wikipediaの「独自研究は載せない」「新しい未発表の理論や解決法を加筆する。 」にあたる可能性があるので本文には載せないで下さい。(Wikipedia:独自研究は載せない

このこともあるので、現時点では

大西が当初から目指しているものは、イメージによる英文法の再構築である。

と断言する論調は違和感を感じる。--以上の署名のないコメントは、219.127.7.222会話/Whois)さんが 2007年8月27日 (月) 02:47 に投稿したものです(Dr. Back-In-The-Street会話)による付記)。

記事内容の全面的修正の必要性[編集]

数年前から当ページにおいて提起されているように、この項目には大言壮語的な記述内容が多く見られるため、そろそろ修正の必要性がるように思われます。--Dr. Back-In-The-Street会話2017年3月17日 (金) 04:25 (UTC)[返信]