ノート:大作主義

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(質問)以下の様な映画が、大作主義の作品に分類されるのか否かについて、質問します。

  • A.長尺の歴史劇で、アメリカ映画だが、制作年が1950年代から1960年代の間ではない。
  • B.1950年代から1960年代の間に制作された、長尺のアメリカ映画だが、歴史劇ではない。
  • C.1950年代から1960年代の間に制作された、長尺の歴史劇だが、アメリカ映画ではない。

以上の様な映画の場合は、大作主義の作品には分類されないのでしょうか?-- 2005年6月4日 (土) 14:14 (UTC)[返信]

この項を起こしたparoleと申します。質問にお答えします・・・と言うか、私なりの見解を述べさせていただきます。 まずここで言う「大作主義」は辞書的な定義が定まったものではありません。おおよそこのようなものだろうと言う通説を私なりに整理したものに過ぎません。従って下記の見解もこれを前提として読んで下さい。 私は「大作主義」を「長尺」「歴史物」を基本要素としたものではなく、飽くまでもハリウッドが絶頂期から低落する起点であると同時に転機となった出来事の一つとして捉えています。映画史などの部分でも述べていますが、赤狩り(レッドパージ/マッカーシズム)、独禁法の適用による製作と興業の分離、テレビの台頭、そしてこれらを背景としたハリウッドメジャーの買収劇と言ったおおよそ40年代後半から50年代にかけて起った一連の出来事が、ハリウッドの黄金時代を収束させ映画に根本的な質的変化をもたらしたと考えているからです。したがって、「大作主義」もこうした大きな流れの一環として捉えていますから、多大な費用を掛けた大作であること(ex.『風と共に去りぬ』)や長尺の歴史物(ex.『アラビアのロレンス』)と言うだけでは、この定義には当てはまらないと考えます。 ですから改めて定義し直すならここで言う「大作主義」とは、「おおよそ1950年代から1960年代に制作」され、テレビからエンターテイメントの王者の立場を取り戻すことを目的として、「多くの資金を投じて話題性をもたらすと供にテレビでは実現不可能な豪華さを売り物とした」一連の作品、と言うことではいかがでしょうか? 後者の定義が結果的に歴史物に題材を求めた、と言うことになると思います。

ただし、冒頭にも述べましたように、上記の内容は必ずしも評価が確定した、辞書的な定義とは言い切れないものでもあります。別な解釈を付け加えていただくことは、wikipediaの精神から言ってもおおいにやっていただいた方がよろしいと思います。 --parole 2005年6月6日 (月) 13:28 (UTC)[返信]