ノート:多古藩

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改名提案[編集]

本項「多胡藩」を「多古藩」に改名すること、また関連カテゴリ・テンプレートも同様に改名することを提案します。提案一覧は以下の通りです。

たしかに多古という地名には「多胡」や「田子」といった異表記も行われていたようですが[1]

  • この藩についてコトバンク所収の事典類では「多古藩」[2]で立項されている一方、「多胡藩」「田子藩」での立項はありません。
  • 江戸時代の『武鑑』[3]や『寛政重修諸家譜』[4]でも、この藩の所在地は「多古」という表記で認識されています。
  • 『多古町史』は「多古藩」[5]、「多古県」[6]としており、千葉県も「多古藩」[7]、「多古県」[8]として説明しています。
  • 『角川新版日本史辞典』(角川学芸出版、1996年初版。私の手元の版は2010年発行の7版)p.1302「近世大名配置表」でも「多古」としてこの藩が挙げられています[9]

よって、藩の名称としては「多古藩」が適切であると考えます。カテゴリー・テンプレートで、この藩(の藩主)であることを指す部分も「多古」が適切と考えます。

提案は以上です。--桂鷺淵会話2022年3月1日 (火) 02:48 (UTC)[返信]

  1. ^ 通史編第三章 中世/第二節 中世中期―鎌倉時代末期・南北朝期―/六、多古の起こりと千田庄の村郷”. 多古町史(ADEAC所収). 2022年2月25日閲覧。
  2. ^ 多古藩”. 日本大百科全書(ニッポニカ)ほか(コトバンク所収). 2022年2月27日閲覧。
  3. ^ 多古(松平豊前守勝全)”. 武鑑全集. 2022年2月27日閲覧。
  4. ^ 松平勝升の項「下総、上総、下野三国のうちにをいて一万二千石を領し、多古に住す」。『寛政重修諸家譜』巻第五十三、国民図書版『寛政重修諸家譜 第一輯』p.282
  5. ^ 通史編第四章/第三節 久松松平氏と多古藩”. 多古町史(ADEAC所収). 2022年2月25日閲覧。
  6. ^ 通史編 第四章/第三節 久松松平氏と多古藩/九、明治維新の多古藩”. 多古町史(ADEAC所収). 2022年2月25日閲覧。
  7. ^ 2.幕末・明治初期の房総諸藩”. 千葉県紹介パネル(通称「県民の日パネル」). 千葉県. 2022年2月27日閲覧。
  8. ^ 3.藩から県へ”. 千葉県紹介パネル(通称「県民の日パネル」). 千葉県. 2022年2月27日閲覧。
  9. ^ 『角川新版日本史辞典』(角川学芸出版、1996年)p.1302「近世大名配置表」