ノート:壬午軍乱

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名称[編集]

日本の公文書を見る限り壬午事変と呼ばずに 朝鮮国事変 朝鮮国擾乱 朝鮮事件 朝鮮國事件 朝鮮國事変 朝鮮國擾乱 と書いています。韓国側の歴史書では壬午事変軍乱との文字があります。

冊封国であるか属国であるかの議論が必要だとおもいます.[編集]

単に朝貢だけでなく、米国への開国要求への返書(国書) 世子王の清への認証をみても 冊封国ということばでなく属国と考えるのが適当ではないでしょうか? また中国が帝国主義によって失われた領土という論文でもわが領土という認識をしています 実録を読んでも自ら”臣” 中国皇帝を”聖帝”とすべて表現しています。 根拠を示してください。

--Lulusuke 2006年5月1日 (月) 00:50 (UTC) 冊封体制とは東アジアにおけるゆるい国間の従属関係をしめすために西嶋定生が言い始めたもので、中国を世界の中心である中華、周辺を野蛮な夷狄(いてき)として皇帝と 周辺諸国が朝貢関係を結び、皇帝は周辺諸国の長に爵位を与えて臣下の礼をとらせるための関係であるが、朝鮮における関係は国交関税決定権、世子決定など非常に密であり冊封というべき関係ではなく属国という言葉が最も適切であると考えます。 --Lulusuke 2006年5月1日 (月) 00:50 (UTC)[返信]

史料を全部読めとは言いませんが、最低限先行研究を熟読しましょう。上記の提案をするためには、先行研究において朝鮮がどのように表現されているか確認し具体的に示す義務が生じます。あなたの意見を見る限りまだ調査足りないようです。(Wikipediaでは独自の研究は書き込めないルールがあるため)もし先行研究の探し方が分からないのであれば、そもそもあなたにはWikipediaに執筆する学力が不足しています。もう少し中国史・朝鮮史を勉強してから書き込みましょう。ひとつだけ具体的に。足利義満は明への手紙に「臣」という文字を使ってませんでしたか?その時の日本は研究で属国と表現されているでしょうか。
それと署名は基本的なマナー・ルールです。必ず文末尾につけましょう。--220.211.149.123 2006年4月17日 (月) 03:02 (UTC)[返信]
先行研究

歴史の先行研究についての学術論文の意味では言うのであれば、朝鮮語に関しては大きな歴史観の違いあって世界標準とは異なった表現であるのが現実です。朝鮮語では柵封が多いですがそれに合わせろと言う意味ですか? --Lulusuke 2006年5月1日 (月) 00:50 (UTC) マナー・ルール<申し訳ないです。参考までに属国 属邦と中国語の文献は述べ柵封という使用例はすくないです。 --Lulusuke 2006年5月1日 (月) 01:11 (UTC)[返信]

忘れましたが質問の答えもお願いします 

--Lulusuke 2006年5月1日 (月) 01:12 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

山川出版社の世界各国史シリーズ『朝鮮史』(武田幸男、2000年、ISBN 4-634-41320-5)でも、岩波新書の海野福寿『韓国併合』(岩波書店、1995年、ISBN 4-00-430388-5)でも、本件の名称を「壬午軍乱」としており、日本では「壬午軍乱」の方が「壬午事変」の表記よりも定着しているようです。確認したところ、山川出版社、清水書院の高校日本史教科書でも「壬午軍乱」の表記がなされていました。そこで、本記事を「壬午軍乱」と改名することを提案します。--Greenland4会話2017年3月1日 (水) 00:49 (UTC)[返信]

提案より10日を過ぎ、反対意見もありませんでしたので、改名作業をおこないました。意見をお寄せいただいたCarbonated Waterさんに感謝いたします。--Greenland4会話2017年3月12日 (日) 20:18 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

壬午軍乱」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月29日 (金) 22:45 (UTC)[返信]