ノート:坂本紅蓮洞

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

坂本紅蓮洞の項目が出来て、嬉しく思います。定義部分ですが「詩人」というのは、どの資料にありましたでしょうか。彼は文藝記者、批評家をもって自認していたのではないでしょうか。恒常的な詩作の経験はあるのでしょうか。

「旧小田原藩士」とありますが、明治の世になったとき、紅蓮洞は満二歳です。これは「藩士」といえるのでしょうか?

あと、「吉井勇が発起人となって「紅蓮洞後援会」を作り、晩年の生活を支えた」とありますが、この後援会が出来たのは、紅蓮洞が没するほんの数か月前で、「晩年の生活を支えた」というのとは、ちょっと違うかもしれません。ご意見をお聞かせねがえれば幸いです。--アイザール 2011年10月28日 (金) 02:10 (UTC)[返信]