ノート:国体/過去ログ1

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著作権侵害の恐れ[編集]

  • Ryu543212001さんによる2007年9月16日(日)22:11の投稿の一部は、[1][2]からのコピー&ペーストと思われます。このブログの著作権を侵害している恐れがあります。また、後者の引用元である「『憲法論』村田文吾氏」という論文(?)の著作権も侵害している恐れがあります。◆取り合えずその前の版に差し戻しさせていただきました。ただ、文体の様子から、著作物の持ち込みの可能性も否定できませんので、削除依頼はまだ出しておりません。◆Ryu543212001さんにお尋ねします。自著作物の持ち込みでしょうか? もしそうであれば、、著作物の持ち込みの手続きに則って対応していただけますでしょうか? 自著作物の持ち込みではない場合、或いはお返事のない場合は、削除依頼(特定版削除)を行いたいと考えています。◆なお、たとえ自著作物の持ち込みであっても、ウィキペディアとしてふさわしくないように私には思えますので、これを残すべきかについては別途議論が必要だと考えています。--俊平太郎 2007年9月23日 (日) 17:32 (UTC)

http://ameblo.jp/ryu543212001/entry-10027528692.html

俊平太郎様追記[編集]

私はウィキは初心者なので理解が間違ってるかも知れませんが ここは自説の開陳場所ではなく 人類の共通知識になってるような常識的な中立的立場からの情報を 寄せ合うのだという把握で投稿しました 従って 投稿した内容は 国体学専攻であれば 常識的な術語の羅列でしかなく 私の著作からの引用も別段オリジナルではありません 文体や接続詞などにつき 著作権に抵触するようであれば上記の 拙ブログ上の「投稿した」旨の頭註で足りるかを御教示ください Ryu543212001(Ryu543212001 2007年9月30日 (日) 22:07 (UTC))

  • お返事ありがとうございました。また、http://ameblo.jp/ryu543212001/entry-10027528692.html にウィキペディア投稿の旨を記載していたただきありがとうございました。◆自著作の持ち込みに関してベストな方法は私も存じません。四角四面に考えると、http://blogs.yahoo.co.jp/ryu543212001/24164555.html 等にもウィキペディア投稿の旨を記載していただくのが無難なようにも思えますが、そこまでする必要はないようにも思えます。◆自著作物の持ち込みであることが確認できましたので、本文に関しては、私が差し戻ししてしまった分を一旦リバートいたします。失礼しました。◆なお内容・構成等に関する異論は別途提案いたします。--俊平太郎 2007年10月1日 (月) 14:30 (UTC)
    • 読点の無い文体は読みにくいですね。句読点の使用は日本人の「共通知識になってるような常識的な」ものと思います。
    • 「神の御子孫たる皇孫が 天地が果てることの無きが如く 統べ治め給う」は古典文法で書かれていますが、これは出典がある引用なのでしょうか。出典があるならばこの部分にには出典の明示が必要と思います。出典のない単なる創作した擬古文ならば現代語に直すべきでしょう。
    • また、「……が 日本国の……」という記述は、助詞の「が」が逆接なのか何なのか不明で、文章内容の意味不明さを更に増しています。内容が読み取れないので、補正もできません。執筆者ご自身の意図が伝わるようにご自身で現行の普通の日本語に書き直していただけるとありがたい。失礼ながら海外生活が長いとかで日本語が不自由でしたら、当方で内容を推測して直し、Ryu543212001さんに再確認して貰うという手順もあります。何かの信念によって句読点の使用を意図的に拒否しているということでしたら、百科事典としての「ウィキペディア」の文体に合いませんので、単に削除して終了だと思います。--Memosa 2007年10月1日 (月) 15:24 (UTC)
    • 「神の御子孫たる皇孫が、 天地が果てることの無きが如く、 統べ治め給う」は「日本書紀」「古事記」の表現ではありませんね。私は右翼ではありませんが、「日本書紀」「古事記」は右翼の方々には「神典」として仰がれているものです。「神典」の記述の捏造は「百科辞典」としてもまずいです。「神の御子孫たる皇孫が、 天地が果てることの無きが如く、 統べ治め給う」というそのままの表現の出典をお示し下さい。--Memosa 2007年10月2日 (火) 10:43 (UTC)

「豊葦原千五百秋之瑞穂国是吾子孫可王之地也宜爾皇孫就而治焉行矣宝祚之隆当与天壌無窮者矣 」日本書紀ニの巻 では上記の表現で 「とよあしはらちいほあきのみずほのくにこれあがうみのこきみたるべきくになりいましすめみまゆきてしらせさきくませあまつひつぎのさかえまさむことまさにあめつちきわまりなかるべし」 とも 例えば「ゆきて」を「いでまして」「まさにあめつききわまりなかるべし」を「まさにあめつちときわまりなけむ」とも様々に書き下し また 助詞「は」などの挿入の例もあります 原典は漢文調ですが和式の誤解した漢文表現もあり 現在に至るまで正確な日本語調表現が確定しておりません 従って 国文学ないし文献史学上の解釈ではなく 国体学あるいはその文献上の根拠として しばしば採用される神道学上の神典研究では 古事記 上つ巻の「 豊葦原水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さしたまふ」という第二の資料のたすけをも借りて 研究者において 総合する方法論が 確立しました また 中西旭 主筆 「尊皇の大義」巻末 語義の解説13から14頁に日本書紀の項として「修飾の多い漢文で記述した編年体の史書」とあるように 神道学者の間では 「天壌無窮の御神勅」の内容について研究する場合 漢文調の修飾部分を排除して 全体を再構成 整理する旨 勧められています この方法論は私は中西先生本人から教示され 当時中西先生は神道宗教学会会長で神社本庁教学顧問であったことから 戦前も現在も 神道学界に於いて一般的妥当性を持つと思います 原典が漢文調の文書であり それを古事記 続日本紀 上代の祝詞などで輔し これを出典とするも 再構成したものを典拠としたのは こうした理由です   (Ryu543212001 2007年10月2日 (火) 12:34 (UTC)) Ryu543212001

    • Ryu543212001様。残念ながら貴君の文章を読解する能力が当方にはございません。何とぞご寛恕ください。--Memosa 2007年10月2日 (火) 13:51 (UTC)訂正--Memosa 2007年10月2日 (火) 13:54 (UTC)
      • どなたか 上記のやり取りに整理をしていただけませんか 「国体」の概要部分をたまたま見て 冒頭に 「国体(こくたい)は、天皇が統治する日本国の国家体制のこと」とあるのに 概ね 不文憲法また自然法など法学上の見地からの記述が多いように思って 国体学上の通説の内 さほど論争の無いところを簡潔に 「中心的観念」の内容として補い それと 既述の英米自然法のとの軟着陸のため 直接にプロセイン及びバイエルン憲法の我が国における受容をはさんだだけなのですが

著作権に疑義との指摘があり その点は 指摘いただいた方には納得いただいたと思うのですが 同一の箇所について 出典を明示せよといわれ 直接には引用ではないため 出典といわれても それは内容上の典拠と その点を教授いただいた方が 当然にも参考とした記紀について「」内で付記したところ >「日本書紀」「古事記」の表現ではありませんね<と再指摘を受けましたが 最初から記紀の表現ではないと「」内に記述しているのですから対応できません また「神の御子孫たる皇孫が 天地が果てることの無きが如く 統べ治め給う」は古典文法では書いてはおりませんし 紀との比較で言うと あきらかに「豊葦原千五百秋之瑞穂国」の部分を削除 なぜならば 神武神勅や 近代の大日本帝國の領土との関係で 国体観念としては内容上 諸説あり 百科事典の概要としてふさわしくないだろうと判断したからで また「天壌無窮」部分も比喩という説を取ったのです  そもそも 中国語版ウィキではないので 日本書紀の原典を引用するのは不適切で かつ日本語での表記は定説が確定しておりません 大体 「国体」の観念の内容に 記紀を直接 表現ごとあてはめる必要があるのでしょうか 紀と 記では内容上の相違があり 紀の該当部の記述は 正文ではなく 一書の第一であり 最初から 参考でしかなく このウィキに書く者が 参考とすべき一つの資料にすぎません >「日本書紀」「古事記」は右翼の方々には「神典」として仰がれているものです<というのはどういう意図かもわかりませんし 事実誤認でもあり かつ政治的脅迫とも誤解されかねないでしょう 「日本書紀ニの巻及び古事記上つ巻を出典として、戦前確立した国体学者及び神道学者による天壌無窮の神勅の定説的整理を典拠とした」整理という表現は 註釈 でも解釈でもなく 諸原典からは距離のある 内容上の再構成を意味しますが もし表現上理解しにくければ 代案を提示なさればすむことではないでしょうか --Ryu543212001 2007年10月3日 (水) 04:26 (UTC)Ryu543212001Ryu543212001 2007年10月3日 (水) 04:26 (UTC)

Memosa様  君主国体説の項に関して[編集]

文献調査上の献策ですが 筧克彦博士の「大日本帝國憲法の根本義」文部省版1936年と「神ながらの道」内務省神社局版1926年は東京都立中央図書館が所蔵一般に閲覧可能です 「神ながらの道」皇太后宮版は学習院大学図書館の未整理の筧泰彦寄贈図書「平成7年現在」か宮内庁書稜部に所蔵されております

(Ryu543212001 2007年10月2日 (火) 13・:31 (UTC)) Ryu543212001

「国会図書館にすら「大日本帝國憲法の根本義」(文部省憲法教育資料)、「神ながらの道」(皇太后宮)の蔵書は無い。誤記またはでっち上げか?」 というコメントにともなって 未検証のテンプレートをお貼りになったようですから 上記の便宜をはかったのですが 御疑問はとけたのでしょうか?--Ryu543212001 2007年10月6日 (土) 00:04 (UTC)

    • 疑問は解けません。誤記のようですが、意図が分かりませんので正しい書誌が正しい方法で表示されるのを待ちます。Ryu543212001氏は日本語を学び始めて日が浅いようですので、お手元の辞書で「公刊」の意味も調べておかれるとよろしいかと存じます。なお、あくまで句読点を使わないという方針であるならば、貴君との対話は以後、お断りいたします。身辺の日本語のできる人に原稿を見せて、添削してもらってからご投稿下さい。--Memosa 2007年10月6日 (土) 01:20 (UTC)--Memosa 2007年10月6日 (土) 12:19 (UTC)強調追加

Memosa様 wikipedia基本方針とガイドラインに関しての質問[編集]

個人の人種、宗教、性、国籍などに関わる非難を行う。「××人じゃない人ですか?」「××人ですか?」「日本語分かりますか?」など 基本方針とガイドラインより抜粋 「失礼ながら海外生活が長いとかで日本語が不自由でしたら」 「 Ryu543212001氏は日本語を学び始めて日が浅いようですので」 という御発言は 基本方針とガイドラインに抵触しないのでしょうか?

新規参加者はウィキペディアの役に立ちたいと思っているはずです。我々が行っている編集の習慣をまだ知らないからといって、それを知りたくないと思っているわけではありません。ですから、学ぶ機会を与えてあげましょう!我々だって、かつては新規参加者だったのですから(自分は最初から経験者だった?確かに、同様のウィキに参加したことがあったり、最初の編集を行う前に全ての資料に目を通してルールや習慣を理解してしまうような人もいます。しかし、だからといって「普通の」新規参加者を見下していいわけはありません)。 基本方針とガイドラインより抜粋--Ryu543212001 2007年10月6日 (土) 07:33 (UTC)

  • 今回は句読点を使わなくて済むように引用づくめですが、句読点を使わないという方針は改めて、日本語の表記の習慣に従っていただけるのでしょうか。それを伺ってからお返事いたします。あくまで句読点を使わないという方針であるならば、貴君との対話は、お断りいたします。--Memosa 2007年10月6日 (土) 12:19 (UTC)

参考文献[編集]

参考文献の箇条書きの頭の記号が記号のまま でてしまいます また 洋書の表記形式に従って表記する能力がありません 特にイタリック体表記が技術的に無理なのでどなたか御助力願えれば幸甚です--Ryu543212001 2007年12月7日 (金) 03:07 (UTC)

元々の目次と構成に従い 振り分けと整理を行いました[編集]

•孫弟子の栗山潜峰は、国体の語を日本独自の国家観の意味で初めて用いたといわれている。これは共産党による戦後の天皇制の語の創作よりも早い。 [1] 天皇制という革命用語は1932年に既に作られていて、 戦後ではないと考えますが、 回答願います。 •政商や地主の生産手段の所有に関する記述は、国体の範疇ではなく、近代経済史あるいは戦後占領政策等のもっとふさわしい場での執筆をお勧めします。 •本文中にあるように 大日本帝国憲法発布を概ねの境に、国体と政体は、語義と指し示す対象を異にしております。対して天皇制の語はもっぱら政体を対象にし、皇室制度、天皇、国体を対象として含むと仮定しても、そうすると逆に天皇制の語の方が国体の語の対象より範囲が広くなってしまいます。従って同一対象という意の記述はいったん削除しました。冒頭の定義・概要部分の執筆は「内容的」にきちんと検討の上なさったほうが良いかもしれません。--Ryu543212001 2007年12月9日 (日) 07:15 (UTC)

冒頭部分の改定についての提案[編集]

国体 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: ナビゲーション, 検索

この項目では日本の国家観としての国体について記述しています。その他の用例については国体 (曖昧さ回避)をご覧ください。
この項目は、文章の表現が冗長(過剰)・執筆者の個人の主観での記述や批評・スタイルマニュアル通りでないレイアウト・エッセイ(随筆)的・コラム(評論)的である・不適当な翻訳、その他百科事典に適切でない内容の記述など、改善の余地があるため、修正・推敲を広く求めています。 

国体(こくたい)は、天皇が統治する日本国の国家体制のこと。

日本共産党及び同党の周辺知識人の主張によると、「ほとんど同義」 [1]の語に天皇制がある。日本共産党、新日本出版社、参照。

1「日本の国家観」というのは「日本の国柄(くにがら)」という改定を提案します。 曖昧さ回避の対象は 主として国民体育大会ですが、 国家観とすると国体思想また国体観と「国体」そのものを混同する閲覧者が発生する原因となりかねません。また()で「国体は各国にあるが、日本の国体を特に指し示す用例が多く、この項目では、主に日本の国体を扱う、というような注意書きが必要でしょう。 2「日本国の国家体制」は「日本の国家のあり方」と改定すべき。国体は地域名称としての日本には馴染みますが、日本国とすると近代国家としての日本国というニュアンスが強く、近代以前の国体について国体思想が未発達としても国体実態や国体事実の未成立との先入主を冒頭で与えてしまいます。 3共産党系の天皇制に関する記述は、小項目の表題を改めて、統合するとよいとおもいます。政体と国体の弁別が不明瞭でもあり。また、中立性に配慮した場合、冒頭の定義という部分で扱うのはバランスに欠けます。--Ryu543212001 2007年12月16日 (日) 06:41 (UTC)

いかがなものか[編集]

国体ということばは、〈日本を天皇が統治し続けることをよしとする立場の人が、日本の統治形態を表現することば〉でしょう。現在の定義と、〈国体〉ということばが使われる前の時代の記述はいかがなものかと思います。たとえば、逆に〈天皇制〉という記事で、〈天皇制は日本の国柄である〉という定義をしてあった場合を考えてください。そして、〈記紀神話にみる天皇制〉とあったらどうでしょうか。記事を書かれた労力は多としますが、そういうことも考えていただけませんか。 --ねこぱんだ 2007年12月20日 (木) 05:06 (UTC)

考えてはいただけないようですよ。無視されましたね。--211.38.131.22 2008年1月9日 (水) 04:25 (UTC)

利用者:Memoosaへ警告[編集]

- 天皇制‎、治安維持法、‎国体‎、天皇制絶対主義‎、天皇制廃止論‎ 、天皇制‎、君主制廃止論‎。での荒らし。 (ファシズム2007年12月21日 (金) 21:55の版より複写)という要約をつけて同一内容の貼り付け。 本項において、架空の注をつける行為は、程度の低い悪戯ですのでwikipediaのすすめにより、警告します。--笠哲哉 2008年1月8日 (火) 16:05 (UTC)

他人の投稿を「程度の低い悪戯」などと決めつけて削除してはいけません。Wikipedia:礼儀を忘れないを声に出してご熟読下さい。Wikipedia:表記ガイドも参照のこと。--Memoosa 2008年1月9日 (水) 00:02 (UTC)

保護[編集]

編集合戦があったため、期限を定めずに保護しました。--はるひ 2008年1月9日 (水) 00:56 (UTC)

保護中の編集依頼について[編集]

[[es:Kokutai]] [[fi:Kokutai]] [[fr:Kokutai]]

が作成されています。反対がなければ管理者伝言板に依頼します。日本語版と同じ配列のドイツ語版を参考にしています。--Tiyoringo 2008年12月7日 (日) 06:24 (UTC)

保護解除について[編集]

もうすぐ保護から1年が経過しますが、このまま保護し続けているのはWikipediaとして問題ないのでしょうか?--難波大助 2009年1月4日 (日) 02:02 (UTC)

保護解除に賛成します。--Harunosaiten 2009年3月11日 (水) 15:14 (UTC)
賛成です。問題のある記事だと考えます。(ログインせずに編集してしまったため再編集) --Knagayama 2009年3月26日 (木) 01:51 (UTC)

保護解除依頼を提出しました。--伏儀 2009年4月11日 (土) 11:33 (UTC)

皇典編纂局編『熊沢天皇箴言集』とは?[編集]

注に「皇典編纂局編『熊沢天皇箴言集』第2巻、247頁 1942年、皇典編纂局。」なる出典が記述されていますが、実在するものなのでしょうか?  この分野には門外漢なのですが、「熊沢天皇箴言集」なるものも、そもそもの皇典編纂局なる存在についても、ウィキペディアのこの項目以外に記述が見つからないのですが…  素人が「熊沢天皇」と聞くと、二次大戦後に話題になった人物しか思いつかないこともあり、この書籍や組織について(存在するならば)、もう少し記述があると参考になるのですが。221.188.73.90 2009年5月24日 (日) 10:23 (UTC)

日本のコモン・ロー???[編集]

大日本帝国憲法が日本のコモン・ローとおなじ法位相うんぬんの記述に、ついて、独自研究の恐れがあります。イギリスは、そもそもEU加盟の段階で、天賦人権論を完全に受け入れて、それを明文化することを、要求されて、Human Rights Act 1998を制定しました。さらには、最高裁判所を、設けて、人権保障を議会以外の、機関に受託させています。そして、日本語のwikiでよく見受けられる表現としての「イギリスでは、議会における国王に主権がある」との解釈は、不可能になっています。どうも、日本で、天賦人権論を否定したい人たちが、海外に権威を求める根拠として、書き込んでいるようです。英語版ウィキペディアとの統一性を重視すべきでは? UrbanRIer会話2013年7月28日 (日) 11:19 (UTC)

  • ①Wikipediaノートでは「下へ下へ」と投稿する慣習ですので、投稿位置を改めさせていただきました。②ご指摘の箇所についてはおそらく誤りであり、独自研究の懸念が強いです。③一方でUrbanRIer氏が記事上で新規に投稿されました箇所については「あるWikipedia投稿者による投稿内容にたいするUrbanRIer氏による批判」でありまして、百科事典たるWikipediaの体裁として宜しくないものであります。この場合適切な対処法は出典を要請されるか、過渡的にコメントアウトするかです。④Wikipedia記事部分は「読者のためのもの」でして、編集検討や記事批判はノートでおこなうようにします。UrbanRIer氏の新規に加筆されました部分(出典要求範囲を除く)は除去しましたが、出典要求そのものは適切な批判だと考えます。⑤一方で日本の国体は「西欧から移入した大陸法・英米法」以前から存在しているものですので、近代法体系として大陸法を移入したから日本の国体はコモンローではない、との断定は中りません。もしかしたら他の編集検討者から適切な情報提供がおこなわれる可能性もありますので、このあたりは慎重に情報提供を待つのも一つの手かもしれません(⑤については大和屋敷の判断です)。⑥なお、出典をもとに記述することが重要でありまして、英語版Wikipediaに統一する云々は語学初学者が陥りがちな典型的誤謬です。英語版Wikipediaもしょせん英語を利用する「どこの誰ともしれない」名無しで無責任なインターネット利用者により投稿された無責任な記述にすぎません。英語版で信用できる箇所は明確に出典が指定されている記述で、なおかつ記述が適切に引用されていると確認できた内容のみだと判断すべきでしょう。英語やドイツ語で記述されてさえいれば、無条件で正しいと考えがちなのは日本語話者が陥りがちな判断ミスです。--大和屋敷会話2013年7月28日 (日) 11:40 (UTC)
  • なお、本記事には関係ありませんが、Human Rights Act 1998に基づき権利の章典にも類似の投稿がなされていましたが、UrbanRIer氏による別のルートでの独自研究による投稿の可能性も考慮してみてください。「他言語版のWikipediaにこう書いてあった」とUrbanRIer氏が思い込んでいるだけではWikipedia:検証可能性を満たなさい、という点についても注意して下さい。--大和屋敷会話2013年7月28日 (日) 12:02 (UTC)

正字と旧字[編集]

いわゆる康煕字典体に沿っているという趣旨で正字体が適切です。一方で旧字体とう表現は「以前、使われていた字体。旧字。」「常用漢字表で示された字体に対して、そのもとの字。」という語義ですが、正字体の公用が認められていないわけではない(但し氏名等に認められるだけで事実上公用はされていませんが)ので、「以前つかわれていた字体」という主旨の「旧字体」という表記より正字体という表記が適切です。とりわけ国体(國體)を重視する論者が意図的に「國體」と表記している傾向についてwikipedia読者に関心を向けさせるものとして「正字体」との表記が適切です。--大和屋敷会話2015年3月9日 (月) 17:24 (UTC)

 日本における公用は実質的に新字体であり、旧字体はその役割を公文書に於いてはほぼ強制的に終えさせられています。公用文改善の趣旨徹底について 内閣閣甲第 16 号 昭和 27 年 4月4日 において、漢字は常用漢字表による。と明記されています。この場合、日本において正字体と表すべきは新字体を指してしまい、旧字体はその範疇に入らないのではないのでしょうか。そもそも、康煕字典体には何ら拘束力はありません。また、概要をきちんと読めばわかりますが、一番初めに旧字体の国体の説明がなされており、wikipedia読者には十分関心を向けさせていると考えられます。--Ronginus4423会話2015年3月18日 (水) 16:27 (UTC)