ノート:和知八幡神社

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・下和知の和知八幡神社を相模(現在の秦野市界隈)から勧請したとされる広沢与三と“とはずがたり”に出現する与三入道とを同一人物とみるには,勧請時期と“とはずがたり”の作者後深草院二条(二条の君)が和知邸及び江田邸に立ち寄った時期とは,約100年間の違いがある。したがって,どちらも事実と仮定するなら,親が幼少の子供の名前(与三)で勧請したのかも知れない。  いずれにしても,地頭,代官達は,神社を核にして,村,庄などの交流,団結,掌握などを図ったものであろう。 広沢氏は,村上源氏系の波多野氏の系統と言われ,本拠地は現在の神奈川県秦野市(はだのし)に相当するらしい。--Rick ・歴史書を紐解いて,広沢氏の家系を見ると,実高の子実能の子行実が与三入道,実高の子の実村の子が実綱(江田氏),実成(和智氏)であり, 与三入道は,実綱,実成の叔父というより現代で言えば従弟(いとこ)に当るらしい。真の寄進者は,実方か実高か,なぞは深まる。

 広沢実方ー>実高ーA->実能(兄)ー>行実(与三入道)           A|->実家           A|->実村(弟)-B+->実綱(兄,江田氏)                  B|->実成(弟,和智氏)  --Rick 注:復帰改行記号が削除されるので,二つの縦線(A|)を実能との兄弟,三つ目の縦線(B|)を実綱,実成と合わせてお読みいただきたい。) ・勧請したのは,同じ与三でも広沢与三実方で,“とはずがたり”に登場する与三入道は与三行実(広沢実村の兄の子)ということらしい。これなら,時代が100年違っても不思議ではない。勧請した実方は,与三入道からみて,3代前に当る。--Rick