ノート:和服

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歴史について[編集]

長々と書いていてこれは日本の服飾史ではないかと思ってきました。しかし和服を書くことを中心にしたため洋装導入以後の歴史(特に大正昭和)がいい加減になっているので日本の服飾史でも足らないような気がします。ご意見をいただけたら幸いです。午後紅茶

確かにえらい長いので和服の歴史の項を新たに作って移動してもいいかも知れませんね。それより画像がもっと自然なものはないのか……。和装する時は誰でもああいう化粧しなきゃならんと勘違いする人が出そうです。MIO 2006年8月12日 (土) 18:22 (UTC)[返信]
記事はとてもよくできていると思います。私としては分割は必要ないと思いますが。ところで、冒頭の写真なのですが、あきらかにほんものの舞妓さんではないので、説明をかえます。コモンズの説明にも”women dressed as maiko”とありますので。MIOさんもおっしゃるように、この写真はこの項目にふさわしいか疑問です。日本では肖像権にも問題ありそうですし、できればこのページからとりのぞきたいのですが、いかがですか。Toki-ho 2006年8月29日 (火) 00:33 (UTC)[返信]
確かに、百科事典の記事に配置するには特殊過ぎる写真だと思います。撤去に賛成です。どなたか成人式のときの写真でも提供してもらえないでしょうか。お顔は出していても隠してもらっても構いませんし。(あ、白とかの肩掛けがかかってるのはNGです。これも特殊装備ですので)--ととりん 2006年8月30日 (水) 12:11 (UTC)[返信]

ファッションの歴史と和服の歴史を統合して日本の服飾の歴史を作るかどうかについて[編集]

ファッションの「洋服文化とファッション―日本における歴史」と和服の歴史に、一部同じようなことを書こうとしている部分があります。このままでいいでしょうか。それとも「日本の服飾の歴史」というような記事を新たに作ったほうがいいでしょうか。 --Seablueseeclue 2007年1月10日 (水) 14:28 (UTC)[返信]

国民服は和服か[編集]

歴史の項目で戦前の国民服が長々と記述されていますが、国民服の記事の写真を見ても洋装ですし、果たして和服と言えるのでしょうか。和服の項目には不適切な気がします。--薔薇騎士団 2009年5月15日 (金) 07:01 (UTC)[返信]

国民服は和服ではありません。和服の歴史の中に和服以外の服の記述を私が含めたことには、和服の普及率がいつどのように衰退していったのかを正確に伝えたいという目的がありました。しかし日本の服飾の歴史を記述する記事を新たに作成して、和服の記事には例えば「和服の歴史については日本の服飾の歴史を参照」というような意味のことを書いておけば、薔薇騎士団さんがお感じになっている不自然さが解消されます。私が以前和服のノートで「ファッションの歴史と和服の歴史を統合して日本の服飾の歴史を作るかどうかについて」(2007年1月10日)で説明した通り、ファッションの記事でも日本の服飾の歴史の記述があるので、新たに歴史に関する記事を作成して一つにまとめたほうがいいと思います。ただ、日本の服飾の歴史に関する記事の名前をどうつけるのが一番いいのか、「日本の服飾の歴史」か「日本の服飾史」か「日本服飾史」か、私は今まで考えがまとまっていませんでした。しかし図書館にある本のタイトルに「日本服飾史」を含む本がたくさんありますし、日本建築史という名前の記事もあるので、これにならって「日本服飾史」がいいのではないかと思います。--Seablueseeclue 2009年7月10日 (金) 09:54 (UTC)[返信]

和服の歴史の部分を別の記事へ分割する提案[編集]

現在の和服の記事中の歴史の記述は、和服の歴史というよりは日本の服飾の歴史の内容です。和服以外の服に関する記述は、和服の解説としては不要な記述だという意見がある、またはありそうです。和服の記事とファッションの記事のどちらにも日本の服飾の歴史の記述があり、重複しています。日本の服飾の歴史は、百科事典の情報としては有用だと私は思うので、和服の記事でなくても、どこかの記事に書いたほうがいいと思います。このような理由で、和服の歴史の部分を分割する提案をします。図書館にある本のタイトルに「日本服飾史」を含む本がたくさんありますし、日本建築史という名前の記事もあるので、これにならって新しい記事の名前は「日本服飾史」がいいのではないかと思います。分割の仕方はWikipedia:ページの分割と統合に説明があります。1週間以上の間、反対意見がないようなら、和服の記事中の歴史の部分を別の記事に移す分割をします。ファッションの記事の修正は分割が終わった後でかまわないと思います。--Seablueseeclue 2009年7月10日 (金) 10:19 (UTC)[返信]

確かに明治以降の記述は服飾全般の歴史の記述になっているので、私も違和感を感じていました。ただ和服に限定した歴史はこの記事に残しておいたほうがいいと思います。--薔薇騎士団 2009年7月11日 (土) 02:32 (UTC)[返信]
反対 何かを掘り下げて書こうとすれば歴史的な記述にならざるを得ないので、分割せず今のままでよろしいと思います。長いですが、歴史的な記述がないと直垂がなぜ和服なのかも理解できません。--トトト 2009年8月5日 (水) 03:47 (UTC)[返信]

和服写真募集と検討[編集]

引続き、百科事典の記事に相応しい写真を募集中です。

ファイル:Shinto wedding at the Yasaka shrine.jpg
和服姿の新郎新婦

ところで、新しく結婚披露宴の記事が投稿されましたが、そこで使用されているこの写真はどうでしょうか。男性の袴が黒紋付ではあまり一般的なものではありませんが、新郎新婦以外の和服姿が収まっているのもいいと思います。--ととりん 2006年10月9日 (月) 09:35 (UTC)[返信]

その写真のページの記述には「This image, which was originally posted to Flickr, was reviewed by the administrator Dodo on December 4th, 2006, who found that it was currently available on Flickr under the license ALL RIGHTS RESERVED, which isn't compatible with the Commons. It is unknown whether the license above was ever valid.」と書かれていて、これはつまり、自由に使えるライセンスがないことがDodoさんによって明らかにされたという意味です。その写真が表現するものは、和服を説明する目的にふさわしいと思いますが、自由に使えるライセンスが得られるまでは使わない方がいいかもしれません。 --Seablueseeclue 2006年12月21日 (木) 05:08 (UTC)[返信]

「右前」と呼ぶ理由について[編集]

「空間的にではなく時間的に前だから」というような説明をされていますが、素直に「空間的に右が前だから」という解説でよいのではないでしょうか?

というのも、着物姿を「見る」第三者にとっては左身の布が前側に来ているかのように見えますが、実際に「着る」本人にとっては、特に前身頃の打合せを整える動作の際なんかは普通に「右が前(=手前)、左が向こう」という位置感覚になります。現代の日本人は、普段自分が着物を着る機会はほとんどなく、着物といえば他人が着ている姿を外から見る形になるため、「前後」の解釈に誤解が生じるようになったのではないでしょうか。

これは例えば、京都の「右京」「左京」なんかと同じで、「一般人から御所を望む形で見れば(あるいは現代の北を上にした地図で見れば)一見左右が逆のように思えるけれど、御所側から見ればちゃんと右と左になっている」というレベルの、主体の視点の置き所をどこに据えるかの違いではないかと思います。あるいは、日本語の「前」が何を指すのか意味が曖昧で、文脈ごとにその都度「自分の手前寄り側」の意味だったり「自分からは遠い前方(=先方)側」の意味だったりすることが、混乱の生じる原因になっているのかと。--Psyche-moth 2010年2月7日 (日) 03:15 (UTC)[返信]

漢服について[編集]

>和服は奈良時代の「中国」の唐の「漢服」の影響を受けているとされ、(「」は補足) とありますが、「中国」は漢語で「中に位置する国」の意味で不適切です、「の」が多すぎるのも問題です 「ユーラシア亜大陸における唐国の衣服」などの表現ではどうでしょう。 「漢服」、これは2003年に王楽天氏が和服を元に創作したのが始まりです「漢服」の言葉もこの以降生まれと 思われます それ以前は唐国の衣服をチャイナ、台湾では「唐装」と呼んでいました。 「漢服」の言葉を使うのは資料の信頼性を大きく損なう行為です

和服の構造を長着へ一部転記する提案[編集]

和服」は大変充実した記事なのですが、出典が不十分なので、整理しつつ出典を付記していきたいと考えています。和服は、長着羽織などを包括する語だと思うのですが、現在「和服#和服の構造」で説明されているものはすべて「長着」についてでバランスを欠いているため、この節を「長着」に一部転記することを提案します。--Focaccia会話2012年6月20日 (水) 16:13 (UTC)[返信]

ひと月以上経ちましたが、特に反対はなさそうなので、転記させていただきます。--Focaccia会話2012年7月25日 (水) 08:54 (UTC)[返信]
一部転記を行いました。--Focaccia会話2012年7月25日 (水) 15:33 (UTC)[返信]

国民服の詳細を整理[編集]

国民服については「国民服」が別記事があり、リンク済みでした。国民服の詳細についてはそちらの内容と同様で、そちらのほうが出典がそろっていたので、こちらの記述を整理しました。

分割および一部転記提案[編集]

和服に関する様々な情報が記述されていて、中には他の記事にあった方が良い記述があるように思います。ページの分割のうち、「ページ中で特定の説明だけの分量が多く、明らかにバランスを失している場合」に該当するとして、「歴史」説を日本服飾史に分割、「着付け」「和服の畳み方」「和服の洗濯の方法」節を着付け(現在は和服へのリダイレクト)へ分割、「紋」節を紋付に転記、「19世紀以前の和服の特徴を表す言葉」節のうち「袍(ほう)」「襴(らん)」「蟻先(ありさき)」「縫腋(ほうえき)」「闕腋(けってき)」をへ転記することを提案します。--Focaccia会話2018年12月8日 (土) 09:14 (UTC)[返信]

記事の名称は「日本酒」→「日本酒の歴史」、「日本の漫画」→「日本の漫画の歴史」のように、これまでの例に倣い和服から分離する歴史ならば「和服の歴史」とするのが妥当と考えます。日本酒から分離したものを日本酒造史とするのならば、これは必ずしも日本酒の歴史と同じ定義ではないでしょう。
例えば、戦後和服は洋服に押されていったことは周知だと思いますが、これが日本服飾史でありますと、着られていたものの歴史となりますから洋服の視点となります。一方で和服から分離した和服の歴史ならば、あくまでも和服の視点から洋服が拡大していき、現在の和服はこうであるという和服の視点になります。
そういう意味で、和服から分離する歴史でありますから単に定義を変化させず「和服の歴史」とするべきであると考えます。それならば賛成いたします。「日本服飾史」は「和服の歴史」とかぶっている部分は多分にありますが、定義が変化しており、和服から歴史を分離する記事としては適切ではないように思います。こういう名づけは重要で、中長期的には必ず影響が出ますのでよろしくお願いいたします。--フジ会話2018年12月9日 (日) 04:45 (UTC)[返信]
現在の「歴史」節は和服の歴史の範囲を超えている部分が多いので、日本服飾史への分割を提案しましたが、フジさんから別のご意見をいただきましたので、これについては一旦取り下げます。それ以外の分割・一部転記については反対意見をいただかなかったため、合意形成とみなし、分割および一部転記を実施します。--Focaccia会話2018年12月16日 (日) 07:31 (UTC)[返信]