ノート:呂尚

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呂尚への改名[編集]

太公望という記事名は、できるだけ本名を用いるというWikipediaのルールに合わないと思います。

呂尚という本名が知られていないと言うことはないでしょう。

とりあえず、今の記事を呂尚にうつし、太公望は、リダイレクトにするか、「太公望は釣り人を意味すると付け加えて誘導させるか、そうすればいいと思います。Auf 02:08 2003年12月28日 (UTC)

記事本文をコピー&ペーストで移し、[[太公望]]を[[呂尚]]へのリダイレクトに書き換えようと考えられているかのように読めてしまいましたので(読み間違いでしたらごめんなさい)、とりあえず正規の「移動」を行いました。元に戻すべきということになったら移動し直して下さい。
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Lupinoid 03:07 2003年12月28日 (UTC)

太公望の由来[編集]

太公望の名前の由来は史記ではないのですか? 由来を伝説と言う程不明確ではないと思うのですが、いかがでしょう。--Outis 2004年12月17日 (金) 08:34 (UTC)[返信]

あまり確度の高い話ではないという意味で書きたかったのですが、確かに伝説というのは少し語弊がありますね。書き換えました。らりた 2005年1月3日 (月) 14:18 (UTC)[返信]

記事名について[編集]

現在は「呂尚」になっていますが、「姜尚」がより本名に近いのではないでしょうか? 参考までに中国語版では「姜尚」となってますね。--Peachkiller 2010年1月10日 (日) 04:17 (UTC)[返信]

2013年5月12日 (日) 11:14‎の編集について[編集]

[1]この編集ですが、

  1. 「太公」という語が『史記』編纂当時(司馬遷の時代)に出典として挙げられている大辞泉と同じ意味を持っていたか
  2. かつ、1を前提にして「太公は古公亶父とは別の人物である」という言説を唱える専門家と、その専門家の言説が掲載されている「信頼できる二次資料乃至は三次資料(WP:RS)」が提示されていない

1、2の点が明らかにされていない(特に2)以上、独自研究(WP:NORWP:SYN)にあたると考えて前の版に差し戻しました。記述を復帰させる場合は、上記2点の問題の解消を願います。--オオミズナギドリ会話2013年5月12日 (日) 11:17 (UTC)[返信]

呂尚の項目について出典を求められるのであれば、劉太公の項目についても、出典を求めて頂きたい。それが公平というものです。劉太公の項目に関しては出典を求めなくて構わないというのであれば、納得いく理由をご説明下さい。--HisStory999会話2013年5月16日 (木) 12:42 (UTC)[返信]

劉太公の項目については編集を行ったことは無く、これからも編集をするつもりはないので知ったこっちゃないです。そっちの編集を行った方々に出典の提示を求めてください。他の項目に出典が提示されていないことを盾に検証可能性を容れないことを正当化する貴方の姿勢の方が問題があるのでは?(^ー゚)b--オオミズナギドリ会話2013年5月16日 (木) 13:28 (UTC)[返信]
了解しました。であるなら「呂尚」の項目についても、知ったこっちゃないという事で、今後お願いします。他の人から出典を求められたら対処します。--HisStory999会話2013年5月16日 (木) 13:34 (UTC)[返信]
「劉太公の項目については」という言葉の意味がお分かりにならなかったところを見るに、呂尚の編集履歴([2][3])はご覧になっておられないのでしょうか。参考文献に挙げた書籍に貴方が記述した言説を見た覚えが無かったことを不思議に思い、どのような資料に言説が掲載されているのか尋ねているのですが。もう一点、以前に他の方からのウィキペディアは参考資料にならないとの指摘([4])はお読みになられましたか?(^ー゚)b--オオミズナギドリ会話2013年5月16日 (木) 13:53 (UTC)[返信]