ノート:吸血蛾 (映画)

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「原作からの変更点」の是非[編集]

反応が全く無いなと思っていたら、利用者会話ページへの書き込みであることに気付かず、そちらに直接反応していました……

遅くなってしまったついでなので、少し時間をかけて文章を練ってみました。

最近、WP:NORWP:VWP:TRIVを根拠に「映像作品と原作との差異」に関する情報を除去する行為が横行しているようです。このページの編集内容要約には、あろうことか「現在のウィキペディアのルール上では変更点をただ挙げただけの内容は一切載せられません」などという滅茶苦茶な主張がありました。

WP:NORWP:VWP:TRIVの何れも「映像作品と原作との差異」を一律に排除する根拠には全く成り得ません。

WP:NOR(独自研究は載せない)とは具体的に何かということは、例えば、Wikipedia:独自研究は載せない#何が除外されるかに列挙されています。おそらくその中の「既存の事実」を「分析・合成するような記述」という文言に「映像作品と原作との差異」が該当するという主張なのではないかと思います。しかし「分析・合成するような記述」が全て「独自研究」に該当するわけではありません。上述の文言にも「編集者が好む立場を支持するような形で」という限定がついています。

各々に中立性や検証可能性などの問題が無い事実を「単に比較して差異を適示しただけ」で独自研究になる可能性は全くありません。そこから何らかの主張を誘導(並べ方などによる暗示を含む)して、初めて独自研究になる可能性が生じます(必ず独自研究になるわけではない)。つまり、「差異の適示」が一律にWP:NORに抵触する可能性はありません。

WP:V(検証可能性)に「映像作品と原作との差異」が直接抵触する可能性は全くありません。差異情報だろうと、元になる映像作品や原作の内容に関する情報だろうと、記述された内容の検証可能性が問われるだけです。

映像作品については、情報源の脆弱性という問題があることは確かです。しかしこの問題は、映像作品の内容自体に関する記述だろうと、それと原作の差異に関する記述だろうと、全く同じです。差異情報だけが排除される根拠には全く成り得ません。

WP:TRIV(雑多な内容を箇条書きした節を避ける)に「映像作品と原作との差異」が抵触するのは余程の場合に限られます。例えば、2時間程度の映像作品について、原作との差異を何十項目にもわたって微に入り細に入り全く脈絡なく書き連ねたら間違いなく抵触するでしょう。逆に言えば、そういう極端な状況で無ければ、抵触する可能性は全く無いのです。

何より、Wikipedia:雑多な内容を箇条書きした節を避ける#実際の手引きの冒頭に「このような節を安易に除去してはいけません」と強調特記されていることにも留意が必要です。WP:TRIVを根拠に何かを「即時除去」することは、その行為自体がWP:TRIVに正面から違反しています。

おかしな論理でウィキペディアのルールを曲解しないでください。--Dakarananyanen会話2023年8月22日 (火) 22:40 (UTC)[返信]