ノート:名鉄一宮線

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東一宮駅の記事からの転載の提案[編集]

東一宮駅の記事からの転載を提案しています。詳しくはノート:東一宮駅をごらん下さい。--本屋 2007年5月27日 (日) 09:35 (UTC)[返信]

柳橋 - 押切町について[編集]

年表中、柳橋 - 押切町がいつから一宮線であったかを示す必要があると思いますが、根拠資料をお持ちの方はいらっしゃいますでしょうか。--210.48.133.123 2020年6月18日 (木) 04:38 (UTC)[返信]

枇杷島線時代の停留所[編集]

一宮線の前身である枇杷島線については途中停留所や枇杷島終点の位置など詳細が判然としない点が多いのですが、『名古屋港案内』(明治45年3月18日発行)には以下の停留所が枇杷島線として掲載されていました。

  • 柳橋 - 市場前 - 泥江橋 - 志摩町角 - 新道通 - 本社前 - 馬道 - 薮下 - 菊井町 - 押切 - 笈瀬川 - 平野町 - 栴檀ノ木 - 惣兵衛川 - 東枇杷島 - 枇杷島橋

同線が軌道(軌道条例)から鉄道(軽便鉄道法)に変更されたのが3月29日ですから、時期としては軌道線時代最末期という事になります。8月6日に西印田駅まで延伸した際の停車場および名称は官報(「軽便鉄道運輸開始並停車場名称、哩程変更」1912年9月11日)によって明らかになっているので、そこに掲載されていない停留所はそれ以前に廃止されたものと見てよいでしょう。その他気になる点と言えば

  • 押切線区間も枇杷島線に含まれていること。1912年時点の停留場の数・名前の相違(具体的には『日本鉄道旅行地図帳』7号記載内容との相違)
  • 押切町駅の駅名。通説は押切町停留所→※→1912年8月6日に押切駅に改称→再度押切町駅に改称。上記文献では※の時点で押切停留所。
  • 平野町駅の駅名。(現時点で記事に記載はないが)通説では八坂町駅として開業し、後年平野町駅に改称される。上記文献では枇杷島線時代の時点で平野町停留所。
  • 終点は枇杷島か枇杷島橋か。『名古屋港案内』では別の箇所に「枇杷島」ともあって混在しているが、通説では庄内川東詰の枇杷島線終点が「枇杷島」で、一宮線開業時に庄内川西詰に設置された駅が「枇杷島橋」。

といった所でしょうか。検討課題が多いので少しずつ考えていきます。--ButuCC+Mtp 2021年10月12日 (火) 17:21 (UTC) 参考に空中写真追加--ButuCC 2021年10月18日 (月) 13:09 (UTC) [返信]