ノート:古典派音楽

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項目名[編集]

いまさらですが、記事名は「古典派 (音楽)」または「古典派の音楽」のほうが適切ではありませんか?--あいうえお順 2006年5月10日 (水) 12:37 (UTC)[返信]

「古典派 (音楽)」が良いと思います。ロマン派音楽もあわせて移動したいですね。どこかもうちょっと目立つ場所で議論したほうが良いのかも。yhr 2006年5月10日 (水) 13:01 (UTC)[返信]

疑問[編集]

「古典とは」の項に現在書かれている「結局のところポリフォニー音楽が17世紀に衰えることはなく、それどころか、フーガの発展へと向かったのである。」およびそれに続くくだりには異議があります。北方オルガン楽派のフーガはバロックの音楽としてはどちらかといえば特殊な分野であり、またその継承者でもあるバッハのフーガは、フレスコバルディ等に学んでいた事からもわかるように懐古的な、時代逆行的な物であったと考えるのが順当な気がします。バッハのフーガは確かに対位法の形式のひとつの極致には違いありませんが、18世紀前半の音楽状況から見ると、対位法的作品はマイノリティに属していると思います。18世紀前半におけるコレルリ様式やヴィバルディの協奏曲様式の流行からもそれはわかるし、あるいは、当のバッハもカンタータ等の作品では対位法的手法を用いたとしてもそれは、モーツアルトやベートーヴェンと同程度の補助的手段に過ぎないように見えます。あるいは、バッハがロ短調ミサに書いたフーガはルネサンス的というよりも、モーツアルトがミサ曲やレクイエムに書いたフーガの位置づけに近く見えます。そういう理由で、バロック音楽を全体としてみたときに、その150年間は、ルネサンス的なポリフォニーを除去し、脱対位法、機能和声的な音楽への順応という方向性を持っていたし、古典期にも対位法は一度も完全には死滅しなかったように思います。その意味で、18世紀前半の作曲家と、前古典の作曲家の線引きは非常に微妙な問題だと思います。おそらく「古典派」を特徴づけている音楽的な要素は、和声の要素や和声進行の更なる簡略化(カデンツが頻出するような和声構造)やそれにともなったアルベルティバスのような表現なのかな、ともおもいますが、それよりもブルジョワジーの台頭など社会状況の変化からくる外面的な要素の方が主眼なのかもしれません。何れにせよこの点(バロックと古典の線引き)私個人としてはあまり実感も自信もありません。現在改稿中でいらっしゃると思うので、本文には手を加えずとりあえずコメントまで。--Pugnari 2006年10月8日 (日) 18:30 (UTC)[返信]

2008年9月20日06:26の編集について[編集]

  • 古典派音楽の様式はウィーンの3人のみによってゼロから築き上げられたものではなく、イタリアやマンハイムなど、各地の前古典派の様式の影響をもとに生み出されたものですが、以前の版ではその点に言及がなく、あたかもウィーンの3人の独創であるかのようなニュアンスが感じられましたので、その旨書き加えました。
  • また、古典派時代にあっても、ルイジ・ボッケリーニのようにウィーン楽派からの影響の少ない作曲家も少なからず存在し、「ヨーロッパのほぼ全土において共通の作曲様式を取るようになった」は少々極端と思われますので修正しました。
  • 演奏会用序曲はロマン派時代を中心に書かれたものですので、「~などが盛んに作られた」の部分から除外しました。
  • 「後期古典派」という名称は音楽においては一般的でなく、ベートーヴェンまでを含め「盛期古典派」とすることが多いと思われますので、時代区分の節の名前を一部変更させて頂きました。--Gruppetto 2008年9月20日 (土) 07:39 (UTC)修正--Gruppetto 2008年9月20日 (土) 18:05 (UTC)[返信]

アレッサンドロ・スカルラッティについて[編集]

さすがに彼が中期バロックなのは分かっておりまして、シンフォニアの関係で登場させたつもりでいましたが、この並びに入っていると「前古典派の一人」として紹介しているように見えてしまうのはその通りだろうと思います。どうもありがとうございます。

あとちょっとの加筆と、出典明示と、「バロック音楽」「ロマン派音楽」と記載密度のバランスを取ることを行おうと思いますので、今後ともよろしくお願いします。--さんらいず会話2023年10月12日 (木) 22:30 (UTC)[返信]