ノート:千鶴御前

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伊東まで氏による生存説について[編集]

伊東まで氏の『八重姫・千鶴丸考』(歴史図書社、1971年)における「生存説」を紹介しましたところ、利用者‐会話:CRsCRk氏が2度にわたり削除されております。所説の内容により削除することそのものについては理解しなくもないのですが、CRsCRk氏は削除の際に2度にわたって編集内容と異なる要約を付されております。虚偽の説明で除去されることについては納得できませんので、CRsCRk氏の編集を取り消しておりますが、要約欄では意を尽くせませんので、ノートページにコメントを書き置くことといたします。

実は伊東氏の書籍については読んでおらず、読書感想ページであるとか[1]、地元観光協会の観光案内のページで[2][3]間接的にしか存じません。要旨としては「千鶴丸は伊東祐親の計らいで落ち延び、島津忠久になった」とのことのようです。スタブ状態で立てられた記事を補足しようといくらか検索を試みた中でこのような説の存在を知ったのですが、印象としては著者の先祖びいきの感が否めませんし、伊豆地方で伊東氏を悪者にしない説として流布されている感が否めません。歴史学者が書いた本は最近一般向けの概説的なものを数点(細川重男『執権』、など)読んだだけではありますが、千鶴丸自体は『曽我物語』等の出典でしか確認が取れないと明示したうえでありうることと記されることはあっても、「千鶴丸が島津氏の祖になった」という説が採用されることはないでしょう。立証も反証も困難なところに掲げられ「歴史ロマン」などとして息づく話のように思われ、信憑性に乏しいから削除という見識もあるとは思います。ただ、観光協会が採用する程度には地元に実影響が出ている説ではありますし、「その説を言い出したのは誰か」は記されてもいいのではないでしょうか。--桂鷺淵会話2022年2月5日 (土) 07:30 (UTC)[返信]

脚注[編集]

  1. ^ よくぞここまで・・・「八重姫 千鶴丸考」伊東まで著”. ミステリのエルミタージュ. 2022年2月5日閲覧。
  2. ^ 女塚史跡公園”. 伊豆の国市観光協会. 2022年2月5日閲覧。
  3. ^ 眞珠院”. 伊豆の国市観光協会. 2022年2月5日閲覧。