ノート:十返舎一九

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

火葬時の花火の逸話について[編集]

亡くなる前、体に花火を仕掛けておき、火葬の際に爆発して人々を驚かせたというが、 本当か?--忠太 2004年11月6日 (土) 17:03 (UTC)[返信]

落語家の逸話だったと思います —以上の署名の無いコメントは、211.19.69.224会話/whois)さんが[2005年7月16日 (土) 09:59 (UTC)]に投稿したものです。[返信]
事実は不明ですが、十返舎一九の逸話としては有名ですね。--222.7.173.132 2007年11月12日 (月) 04:39 (UTC)[返信]
麻生磯次 校注の『東海道中膝栗毛』(岩波書店、1958年発行)の「解説」によると落語家・林家正蔵の逸話と混同されている可能性が指摘されています。しかし、結論としては真偽不明ということになっていました。一応、記させていただきます。--Asura2007 2008年6月6日 (金) 11:42 (UTC)[返信]

辞世の句に付いて[編集]

この世をば いざおさらばと 線香の けぶり(煙)と消えて はい(灰)左様なら

とするものも、書物によって見かけられますが、どちらが正確なのでしょうか?--222.7.173.132 2007年11月12日 (月) 04:39 (UTC)[返信]

検索してみると色々な"バリエーション"があるようで驚きました。麻生磯次 校注の『東海道中膝栗毛』(岩波書店、1958年発行)の「解説」に記載されている「此世をばどりやおいとまにせん香とともにつひには灰左様なら」を"標準的なもの"として、脚注欄も含めて本文中に書かせていただきましたが、問題等がございましたらご指摘いただけると幸いでございます。--Asura2007 2008年6月6日 (金) 11:31 (UTC)[返信]

一九という名の由来について[編集]

麻生磯次 校注の『東海道中膝栗毛』(岩波書店、1958年発行)の「解説」によると、一九の伝記が『続膝栗毛』五編の末に板元西村永寿堂の名で記されており、「一九性は重田、字は貞一(さだかつ)、駿陽の産なり。幼名を市九と云。故に市を一に作り雅名とす ・・・」と一九の名の由来が書かれています。

幼名が一九の名の由来と考えるのが定説のようで、本項本文中に記載されているように、他にもこの説を支持する文献がございます。 本文中の「東海道の宿場の十九番目であることにちなんでいる」とする説は根拠がはっきりしていないようです。この説を支持する文献、この説が書かれている文献があれば、教えていただけないでしょうか。無いようでしたら本項では、幼名由来説を採用したいと思うのですが、ご意見をお聞かせいただければ幸いでございます。--Asura2007 2008年6月6日 (金) 12:18 (UTC)[返信]

「幼名由来説」採用に賛成です。Hinonbey 2008年6月12日 (木) 23:42 (UTC)[返信]
「幼名由来節」へのご賛同および本文の訂正、ありがとうございました。かなりの量の加筆もしていただいているようで、頼もしい限りです。--Asura2007 2008年7月13日 (日) 18:23 (UTC)[返信]

『十返舎一九』のルビ[編集]

岩波書店の広辞苑、平凡社の世界大百科事典、吉川弘文館の日本歴史大辞典、朝日新聞社の朝日日本歴史人物事典では、『じっぺんしゃいっく』とルビを振ってあります。Hinonbey 2010年5月7日 (金) 10:40 (UTC)[返信]