ノート:功名が辻

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種崎事件について[編集]

種崎の一領具足粛清については、事件そのものは史実でもありましたが、時期が異なります。また、『竜馬がゆく』をもちだして階級闘争史観はけしからんというのは、完全に書き手の独自研究でしょう。たしかに『竜馬がゆく』では上士と下士(元一領具足など)の対立を厳しく書いてはいますが、そもそも江戸時代そのものが階級社会であり、司馬の独創とは言えません。そしてなにより、『功名が辻』とは別の作品です。階級闘争史観は司馬作品全体の特徴というのなら、信頼できる第三者による表明を出典に出してください。小説を一次資料にしてそこから新たに見解を生み出しで記事に書くのは、独自研究となります。ここで求められるのは二次・三次資料です--114.170.20.252 2022年1月10日 (月) 02:02 (UTC)[返信]

こんにちは。『竜馬がゆく』関連の加筆をした者です。少し前に返信を差し上げたのですが、こちらの勘違いもあったことから取り消して、改めてお答えしたいと思います。
『竜馬がゆく』の件ですが、自分でもなぜ小説を出典としたかがよくわからず、恐らく注釈にしようとしてそのままであったかと考えられます。ですから除去してくださったのはありがたいのですが、除去しましたというのを、こちらでも明記していただきたかったです。ただ階級闘争云々は、私は書いた覚えはありませんので、恐らく後でどなたかが加筆されたのでしょう。
また記述に対して異議や疑問がおありなら、ご自分で資料を見つけて加筆するという方法もあるかと思います。本来ウィキとはそういうものであると思います。それからノートで問題提起をされるのなら、IPアドレスでなく利用者名をつけていただいた方が、会話がしやすいと思います。それぞれのページで話し合うことも可能なので。--Ishino会話2022年1月13日 (木) 06:43 (UTC)[返信]
IP変わりましたが上のIPの者です。Ishinoさん、コメントをありがとうございます。『竜馬がゆく』の件の除去につき、やや急いでいたかもしれません。ただご納得はいただけたとのことなので、ありがとうございます。
さて、この記事の過去版を見ていましたら、Ishinoさんが投稿をされたあと、2020年に 利用者:Kirishima Hyuga会話 / 投稿記録 / 記録 さんという方が改変を加え、そこでどうも前述の階級闘争云々を含む、不審な点が生じたようなのです。例えば以下です。
改変前 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8A%9F%E5%90%8D%E3%81%8C%E8%BE%BB&oldid=78513566
「土佐山内家宝物資料館の渡部淳館長によれば、種崎浜で反抗する領民を虐殺したことも、戦国時代では珍しくはなかったとされるが、土佐では山内家は進駐軍のような見方をされるといわれ、この対立感情が幕末まで尾を引くことになる」


改変後 https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%8A%9F%E5%90%8D%E3%81%8C%E8%BE%BB&oldid=80841740
「土佐入国後は、長曾我部氏の家臣との対立にも悩んだ山内一豊が「相撲大会」と称して種崎に一領具足を集めて虐殺したという話を載せるが、この部分は完全なフィクションであるにも関わらず、史実と混同する人が「知らなかったが、実はそんなことがあったのか」、「ウチは一領具足の子孫だが、山内家に差別されて没落したのかもしれない」と考える人まで出現し、むしろ現代にしこりを残す結果となっている[注 5]。」
注5:「土佐山内家宝物資料館の渡部淳館長によれば、種崎浜で反抗する領民を虐殺したことなど史実にない(フィクション)にもかかわらずこのような書き方をされると、土佐では山内家に対しての反感感情を煽ることになり困る」
どちらも出典は『司馬遼太郎の戦国II「梟の城」「功名が辻」「馬上少年過ぐ」の世界』54頁となっていますが、改変前では種崎事件の存在を否定していないのに、改変後では全否定しています。しかし「功名が辻」で描かれた経緯とは異なりますが、山内側が種崎で一領具足を粛正したこと自体は史実としてあります。もし改変で虚偽の記述がなされたなら、渡部淳館長の名誉にも係ることになります。
本来なら私自身で出典チェックをするべきなのですが、コロナもあり今は思うように動けません。Ishinoさんにお願いなのですが、もし加筆当時の資料をまだお持ちでしたら、本当に恐縮なのですが、現在の記述に出典と食い違う部分がないか、見てはいただけないでしょうか。--125.172.105.91 2022年1月17日 (月) 04:15 (UTC)[返信]
125.172.105.91様
返信をありがとうございます。また改変前と改変後のリンクも貼ってくださり、こちらにもお礼いたします。

出典である『司馬遼太郎の戦国II「梟の城」「功名が辻」「馬上少年過ぐ」の世界』53頁から54頁を確認したところ、渡部淳氏はご自分の著書『検証・山内一豊伝説』中でこの種崎の角力大会について、「あまりにもできすぎた話のような気がするが、当時の情勢からみて、あったとしても不思議ではない」と述べておられます。またその後で、「土佐では山内家を進駐軍のように見立て、支持しない人が昔からいます。『山内だから磔にした』と言う言われ方をする」と前置きしたうえで、「私は一豊はよく土佐を治めたと思います」ともあります。私が見た限りでは、階級闘争とか、渡部氏が領民虐殺はフィクションであると言われたなどという記述はありません。

ただ渡部氏の角力大会への言及は、ご自身の著書からのものであるため、あるいはこちらの方に、この種崎の角力大会に関してもう少し詳しく書かれている可能性もあるかとは思います。一方「山内家を進駐軍のように見立てる」というのは、渡部氏への取材に対してのものです。

いずれにしても、出典を確認する限り、階級闘争、あるいは角力大会での虐殺はフィクションというのは認められませんでした。あるいは加筆された方が、出典を間違えている可能性も否定できません。とにかく今は、これらに関する記述は一旦削除されているため、しばらくはこのまま保留し、今後また階級闘争とかフィクションであるという加筆がなされて、しかも出典がはっきりしない場合、前出渡部氏の著書をチェックするなりした方がいいかと思われます。

取り急ぎ、用件のみにて失礼いたします。--Ishino会話2022年1月20日 (木) 03:20 (UTC)[返信]

この節を立てたものです。Kirishima Hyugaさんからは結局反応がありません。上記の経緯も踏まえ、Kirishima Hyugaさん由来の記述を除去します。--153.189.102.36 2022年5月21日 (土) 03:55 (UTC)[返信]

Ishinoです。お手数をおかけしました。どうもありがとうございます。--Ishino会話2022年5月24日 (火) 04:35 (UTC)[返信]