ノート:冀州

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項目名について[編集]

中国史において(中国史に限りませんが)「古代」の語句を用いるには慎重な配慮が必要であると考えます。本邦の中国史学界ではかねてより時代区分論につき「古代」の終期を後漢の滅亡とみるか、唐末五代とみるかが激しく争われ、決着の付かないまま現在に至っています(論考多数につき出典のいちいちは省略。たまたま手許にある文献では宮崎市定氏『中国史』上巻(岩波書店、1977年))。

このように論者によって定義を異にする語句を項目名として用いることはできるだけ避けるべきと考えます。また、いずれの説を採っても北宋以降が「古代」に該当することはなく、まして中華民国や中華人民共和国における行政区分までもが「古代」に含まれることはあり得ないでしょう。

ウィキペディアにおける中国行政区分の項目名の付け方について明確なコンセンサスが形成されているのかは存じませんが、例えば荊州徐州の各項目において当該地域の通史に類する構成が採られていることからすれば、本項目も「冀州」として現代中国に至るまでの来歴を書き記せばよいと考えます。「冀州市」が未だ作成されていない現状では、曖昧さ回避ページとしての「冀州」は必要なくなるのではないでしょうか。--Сорасоуё 2008年6月26日 (木) 18:48 (UTC)[返信]

依存ありません。曖昧さ回避ページを抹消してこの項目を「冀州」に改名するのが妥当と考えます。すでに曖昧さ回避ページができていたので、漫然とこの項目を新規作成してしまいましたが、おっしゃるとおり不適切であると思います。。--Hoistsail 2008年6月27日 (金) 18:05 (UTC)[返信]

  • ご意見ありがとうございます。主執筆者のHoistsailさんにご同意頂いたので曖昧さ回避ページの即時削除依頼が通り次第、本項目の改名手続を行います。釈迦に説法の非礼をご容赦頂ければ幸いです。--Сорасоуё 2008年6月28日 (土) 01:16 (UTC)[返信]