ノート:佐伯氏 (豊後国)

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

疑問点[編集]

「佐伯」の読み仮名[編集]

大分歴史事典』はどの程度信頼できるかは検討が必要でしょうが、専門家によって執筆された二次資料です。しかも古代氏族は「さえき」、中世は「さいき」とわざわざ区別しているので、単純に佐伯町・佐伯市の表記に倣っているわけではありません。これを出典も示さずに否定するのは独自研究でしかありません。

あと、旧仮名では「さへき」表記、というのもだけでは「さいき」を否定する理由にはなりません。旧仮名で「さへき」表記となっているものを、根拠もなく「さいき」に修正することは通常ありえません。ないでしょうから(「さいき」とする立場はそもそも旧仮名が「さへき」ではないとする立場、ということです)、「さえき」とするには「さへき」となっている史料を示す必要がありますし、そもそもウィキペディアにおいて二次資料によらず、実際の史料を直接参照すること自体が望ましくありません

全国的には佐伯の一般的な読みは「さえき」ですから、豊後佐伯氏の読み仮名を「さへき」、あるいは「さえき」とする史料・資料があっても、それだけで『大分歴史事典』が採る「さいき」を否定することはできません。「さいき」を否定するには、『大分歴史事典』よりも信頼できる公刊された二次資料において、「さいき」が明確に否定されている必要があります。--KAWASAKI Hiroyuki 2010年7月24日 (土) 06:32 (UTC)、2010年7月24日 (土) 08:37 (UTC)加筆[返信]

ついでながら、{{Cite book}}の改行を詰めるのは、編集時にまともに読めないので避けていただければと思います。--KAWASAKI Hiroyuki 2010年7月24日 (土) 06:38 (UTC)[返信]

2010年7月24日 (土) に 218.110.44.42 の番号で、豊後佐伯氏関係の項目に編集を加えた者でございます。まず、{{Cite book}}の改行詰めにつきましては、編集上ご不便を感じられたとのことで失礼を致しました。

それでは、私が前近代の事項(特に豊後佐伯氏関係)については「さえき」と表記するのが妥当であるとする論拠および出典の提示を、まずはこちらにて致したく存じます。

>「さいき」とする立場はそもそも旧仮名が「さへき」ではないとする立場、ということです、「さえき」とするには「さへき」となっている史料を示す必要がありますし、そもそもウィキペディアにおいて二次資料によらず、実際の史料を直接参照すること自体が望ましくありません
豊後佐伯氏の仮名表記について、現代仮名の導入(1946)以前に著された、信頼できる公刊された二次資料において見ますと、太田亮『姓氏家系大辞典』(姓氏家系大辞典刊行会、1934~1936。角川書店による1963年の復刻版を参照)では、豊後の佐伯氏は佐伯宿禰(古代氏族)も大神姓(今回問題となった佐伯氏)も、共に他の佐伯氏同様「さへき」として立項されております(第二巻2686~2688頁)。まずは、信頼できる公刊された二次資料において、豊後佐伯氏の氏族名が旧仮名では「さいき」「さひき」「さゐき」でなく、「さへき」と表記されていたことをご確認いただけましたでしょうか。

これを踏まえて、個人名のほうに話を移しますと、『日本人名大事典』(平凡社、1979。1938年刊行『新撰大人名辞典』の復刻本)第3巻37頁には、「佐伯惟治」が「さえきこれはる」として立項され、同項には漢字表記と共に旧仮名で明確に「さへきこれはる」と表記されています。ここでも信頼できる公刊された二次資料における旧仮名表記は「さいき」「さひき」「さゐき」ではなく、「さへき」(さえき)であるということです。

ここまでの内容をご覧になって、あるいは「旧仮名で「さへき」であっても、新仮名に置換える際に「さいき」に変えてしまえば問題無いであろう」と判断なされるかも知れませんが、結論から申し上げますとそれは不可能です。なぜなら、『国史大辞典』第6巻(吉川弘文館、1985)の236頁に載せる「佐伯氏」の項では「さえきし」として、他の佐伯氏と同一の項目内で豊後佐伯氏について「平安時代末期に大神氏の一族の緒方三郎惟康が佐伯氏を称し(中略)伊予宇和島の藤堂氏に仕えた」との記述があり、一方同書の「佐伯藩」の項目では、現行地名に倣って「さいきはん」としている(第6巻136頁)ので、信頼できる公刊された二次資料においては、少なくとも地名「さいき」と人名「さへき」(さえき)の間では明確な弁別がなされており、同書は、学術的見地より「佐伯氏」に関しては単純に仮名表記の改変に倣う必要無しと判断したことがわかります(本来であれば大正年間以前の事項である「佐伯藩」も、厳密な弁別の対象となるべきなのですが)。ですので、無条件に変更後の表記に倣って豊後佐伯氏の表記を「さへき」(さえき)から「さいき」に置換えることは出来ません。

また、前掲の三書(『姓氏家系大辞典』『日本人名大事典』『国史大辞典』)に比べてかなり信頼性は落ちますが、『戦国人名事典』(新人物往来社、1987)では、 「佐伯惟治」「佐伯惟教」「佐伯惟定」をそれぞれ「さえきこれはる」「さえきこれのり」「さえきこれさだ」として立項(356頁)しています。逆に、佐伯氏を「さいき」と表記している例を探しますと、管見の限りにおいては、『戦国武将合戦事典』(吉川弘文館、2005)111頁の「大友義鑑」の項に「佐伯栂牟礼城主佐伯惟治が重治に内通」とあり、この「佐伯」に「さいき」と仮名が振られております(ここでは前段(地名)のほうに「さいき」と仮名を振り、後段(人名)のほうには仮名が振られておりませんから、「佐伯惟治」の「佐伯」もまた「さいき」と読ますということかと思われます)。ちなみに、同項目の執筆者・渡辺澄夫氏は件の『大分歴史事典』の編纂委員長です。

以上が、通常の項目では基本的に現行の「さいき」表記を用いるが(市・駅・学校などは、現在では「さいき」表記のほうが正式)、今回問題となった「豊後佐伯氏」「佐伯惟治」「佐伯惟教」「佐伯惟定」などの表記変更以前に成立した前近代の史的事項(特に佐伯氏関連)に限っては旧仮名由来の「さえき」表記とし (本来ならば「佐伯藩」「佐伯城」なども、明治4年に廃止されているので、厳密には旧来表記を用いるのが望ましい)、「さいき」表記については註釈の範囲内に止めるのが適切である、と考える所以です。

ただし、当方の意図は「さいき」の全否定=表記自体の完全な抹殺ではなく、これらの事項に限っては、誤解を生じぬよう正確な「さえき」表記を主とするのが適切であるということに過ぎません。つまるところ、私がここまで縷々述べたことは、あくまでも仮名表記上(どう読まれていたかではなく、どう仮名表記されていたか)の問題であって、大正頃~現在の同地方言で「さいき」と発音していること自体が正しくないなどと主張する存念は毛頭ございません。他地域の方言でも「佐伯」のエ・イ(あるいはキ・チ)を必ずしも五十音の通りには発音していませんが、「さへき」(さえき)という基本の仮名表記自体には殊更に改変を加えなかったため、当該の大分県佐伯市関係の項目のように、変更以前と以後で厳密に表記を弁別せねばならない事態が生じなかっただけなのです。

今回、偶々最初にご覧になった『大分歴史事典』のweb版が「さいき」表記であり、またこれが地元の刊行物であったがために
>旧仮名で「さへき」表記となっているものを「さいき」に修正することは通常ありえない
と判断なされたのも無理からぬこととは存じますが、実際にはご覧の通りでございます。

>全国的には佐伯の一般的な読みは「さえき」ですから、豊後佐伯氏の読み仮名を「さへき」、あるいは「さえき」とする史料・資料があっても、それだけで『大分歴史事典』が採る「さいき」を否定することはできません。「さいき」を否定するには、『大分歴史事典』よりも信頼できる公刊された二次資料において、「さいき」が明確に否定されている必要があります。
これに関しては逆もまた然りで、『大分歴史事典』においてはあくまでも「さいき」として立項されている、あるいは「さいき」と仮名が振られているのみであり、当該項目にて典拠を明示の上で、必ず「さいき」と表記せねばならぬとして、「さえき」を明確に否定している文面は無いばかりか、同じ豊後国の佐伯宿禰(そもそも佐伯という地名の由来とされる)に関する項目に至っては間違い無く本来の「さえき」表記を用いているのです。

このため、豊後佐伯氏の仮名表記として、本来の仮名表記であり信頼できる公刊された複数の二次資料に示された、旧仮名由来表記である「さえき」を明確に否定し、大正年間に制定された「さいき」表記こそが必ずや優先されるべきと主張なさる場合には、お手数ではございますが、その旨(つまり、古来より首尾一貫して豊後佐伯氏および同地方については「さいき」「さひき」「さゐき」のいずれかの表記が用いられ、「さへき」表記が用いられた事例は一切絶無であることを明示するもの。加えて惟定については伊予・伊勢移住後も「さいき」系統の表記を用い続けたか、あるいは移住後に「さいき」系統から「さへき」に表記を改めたことを明示するもの)が明記された、信頼できる公刊された二次資料を、改めてご提示いただきたく存じます。

以上乱文長文を以て失礼致しました。--202.223.88.188 2010年7月27日 (火) 13:52 (UTC)[返信]

わざわざ丁寧な説明、どうもありがとうございます。
蛇足ながら申し上げておきますと、ノート:佐伯惟教に一番最初に書いているとおりで、もともと『大分歴史事典』の表記だけでは「さえき」を否定できるとは思わなかったので、あえて「さえき」表記を残していた次第です。あと、「さえき」を採るか「さいき」を採るかが発音の問題ではなく、あくまでも当時の表記の問題だということも承知しております。
『大分歴史事典』の実物は確認していませんが、(採算の問題等も想定されるとはいえ)大分放送による自費出版に過ぎず、また郷土史というのはさまざまな理由によりバイアスを避けにくい場合もありそうですので、多少割り引いて考える必要があるとは思っています。ただ、「さいき」の表記を否定してしまえるか、というと疑問も残ります(『大分歴史事典』が乱暴に佐伯宿禰以外を「さいき」に統一してしまったのか、それとも何らかの根拠をもって「さいき」を採ったのかは判断しかねます)。あと、『国史大辞典』が「さいきはん」としているのも気になるところです(もし現行地名に倣ってしまったのだととしたら問題ですが、むしろ何らかの史料をもとに「さいき」としたのではないでしょうか)。
豊後佐伯氏に関しては、望ましい対応は以下のどちらかだと思います。
  1. 本文中では「さえき」とし、注釈で出典、および「さいき」とする出典を示す。
  2. 本文中で「さえき」「さいき」を併記し、それぞれに出典を示す。索引の見出しは「さえき」とする。
どちらが望ましいとお考えでしょうか。なお、「佐伯藩」「佐伯城」については『国史大辞典』が(たとえ間違いにせよ)「さいき」としている以上、明確に否定できないかぎりは「さいき」とするか、併記するにしても「さいき」を主表記とするしかないと思います。
以上、お考えをお聞かせいただけると幸いです。乱文ごめんなさい。--KAWASAKI Hiroyuki 2010年7月27日 (火) 15:16 (UTC)[返信]

ご返答拝見致しました。

ご提示の両案のうち、私は前者(本文中では「さえき」とし、注釈で出典、および「さいき」とする出典を示す)が適切と考えます。本件の場合、佐伯氏の本来表記が「さえき」であることを明確に示し、閲覧者の誤解を防ぐ必要が有るからです。

なお、附註については、氏族全体の記事である豊後佐伯氏および「佐伯惟治の乱」「佐伯惟教」として『大分歴史事典』が「さいき」表記で立項した惟治・惟教の記事については必要かと思いますが、同書に個人名項目の無い惟定に関しては不要かと考えます。ただし、貴殿が惟定の項についても附註が必要と判断なさるのでしたら、敢えて反対は致しません。また、冗長化を避けるため、極力簡潔な記述に止めるのが良いかと考えます。

文面は
>豊後佐伯氏の仮名表記については、『国史大辞典』第6巻236頁「佐伯氏」の項(吉川弘文館、1985)および『日本人名大事典』第3巻37頁「佐伯惟治」の項(平凡社、1979)などに見える通り、他の佐伯氏同様「さえき」が本来の表記だが、一部には、大正年間に大分県佐伯町(現・佐伯市)の地名表記変更に倣い「さいき」と表記する例も見られる(以下『大分歴史事典』の出典情報)。
とするのは如何でしょうか。後日、当方で『大分歴史事典』の紙媒体現物(1990)を確認し(これは二週間後くらいになりそうですが)、当該表記に関連する「佐伯惟治の乱」「佐伯惟教」などの頁数を控えた後には、出典情報を『大分歴史事典』「x」の項(大分放送、1990)y頁と差換える予定でおります。

また、現状では直接『大分歴史事典』web版の当該項にリンクが張られておりますが、私個人の意見としましては、出典情報を紙媒体のものに差換えた時点で外したほうが良いかと考えます。例えば、これがWeb限定の非辞典的情報または参照用の関係論文へのリンクであるならば良いとは思うのですが、他者の編んだ事典の項目そのものへのリンクでは、どうしても例示・引証の域を超越し、完全にそれに寄生しているという観が否めませんので、Wikipediaの規則自体には抵触せずとも、避けるべきかと愚考する次第です。

>何らかの史料をもとに「さいき」とした
この場合、佐伯藩・佐伯県の時点で既に「さいき」系統の表記であった筈ですから、大正年間になってからわざわざ佐伯町が「さいき」に表記を変更する必要は無かった筈なのです。実のところ、本来の仮名表記と現行表記が異なる場合には厳密な弁別がなされないと、時にとんでもない誤謬を生み出す危険性が有ります。一例を挙げますと、宮城県に「登米」という地名がありますが、旧・登米郡登米町は郡名は「とめ」、町名は「とよま」という仮名表記でした。ところが明治11年までは登米郡も「とよま」表記で、平成17年に成立した現・登米市は「とめ」と表記しますので、厳密にその時点に応じた「登米」の仮名表記に拠らなければ、致命的な誤りを犯してしまいます。

とは言え、「佐伯藩」「佐伯城」については(ただし「佐伯城」については『国史大辞典』に項目無し「佐伯城」は『国史大辞典』第6巻235頁--210.139.159.15 2010年7月31日 (土) 03:45 (UTC)誤記訂正)、基本的に藩名は「地名+藩」の構成ですから、『国史大辞典』が地名に関しては現行表記の「さいき」としている以上、現状では同書に準じる「さいき」表記が主でも問題無いかと思われます。仮に、私が両項目についても本来表記への是正を試みる場合には、改めて各々の事項についての明確な典拠を示すことになるでしょう。[返信]

以上乱文長文を以て失礼致しました。--220.211.2.197 2010年7月29日 (木) 13:23 (UTC)[返信]

さっそくのお返事どうもありがとうございます。基本的にはご説明いただいた方針が適切だと思いますが、4点だけ確認させていただければと思います。
  • 正式な仮名表記、というのが明確に意識されるようになったのは明治維新以降である、という理解は正しいでしょうか。
  • だとすると江戸時代に行われていた仮名表記(の現代仮名遣い)が「佐伯藩」や「佐伯城」の読み仮名ということになるのでしょうが、実際には「さいき」系統の表記が行われていたにもかかわらず明治初年に(訛りとして嫌って?)「さへき」とした、あるいは江戸時代には併用されていた、という可能性はないのでしょうか。(たとえば佐伯海軍航空隊が「さへき」としたのは「さへき」が正しいからだとも解釈できますが、「さいき」系統の表記が転訛として一部で嫌われたとも解釈できるように思います。)
    もし可能性があれば、「さいき」を誤りとするのは自明ではなく、したがって各資料の信頼性をもとに豊後佐伯氏については「さえき」とし、佐伯藩・佐伯城については「さいき」とする、ということになるかと思います。
  • 上とも重複しますが、『大分歴史事典』が「さいき」としているのが地名表記変更に倣ってのことだとは断言できないと思うのですが、いかがでしょうか。単純に「さえき」とする出典を示したうえで、一部には「さいき」と表記する例も見られる、という記述で充分ではないかと思います。
  • 『大分歴史事典』へのリンクを避けたい、というのは理解しますが、読者が受ける印象を気にしてリンクを省いてしまうのは主従が逆のように思います。ただ、冗長になるのも確かですので、各人物の記事では「さいき」の出典については「豊後佐伯氏を参照」とし、本記事でのみ『大分歴史事典』を出典として示す、というのはいかがでしょうか。
以上、浅学ゆえ的外れな点もあるかとは存じますが、ご検討いただけると幸いです。--KAWASAKI Hiroyuki 2010年7月29日 (木) 16:21 (UTC)[返信]

ご返答拝見致しました。

四点のご指摘につき、上三点は一括し、残る一点は単独の扱いにて回答致したく存じます。

>正式な仮名表記、というのが明確に意識されるようになったのは明治維新以降である
まず、大分県佐伯市関係の場合には、佐伯町議会で大正5年(1916年)に「さいき」表記が制定されているので、ここが基準点となります。制定にともなう仮名表記の「さいき」への改変作業が、現行の組織等およびそれ以降に成立したものに加えられただけであればともかく、それ以前に存在していたものにまで影響を及ぼそうとしたがために問題が生じたのであり、そもそもこの種の表記改変が行われなかった地域に関しては、一定の時点を境目にして正式な仮名表記云々を明確に意識する必要すら無く、たとえ現在と異なった表記が存在しても「この時代にはこう読んでいたことがこの史料からうかがえる」との説明だけで事足りるのです。

また、大正5年の新表記制定以降も、同年開設の「佐伯駅」のように昭和37年まで「さえき」表記を維持したり、例としてご提示いただきました昭和9年開隊の「佐伯海軍航空隊」のように全くこの改変に倣わなかった事例もございます。
>実際には「さいき」系統の表記が行われていたにもかかわらず「さへき」とした。「さいき」系統の表記が転訛として一部で嫌われた
こうした仮定が事実ならば、何故貴殿が提示された「佐伯海軍航空隊」の項に
>自治体名の「さいき」ではなく、旧来より呼び習わされてきた「さえき」を名乗る。
という文面が存在し得るのでしょうか。

勿論、表記併用の可能性自体は絶無では有りませし、それを否定するつもりもございません。誰かが耳で聴き取ったものを仮名に書き起こす際に「さいき」「さひき」「さゐき」などと書くことは有り得ます。ただ、聴覚のみに依った場合には、それ以外の「さいち」「さひち」「さゐち」「さえち」「さへち」「さゑち」などの表記、あるいはその枠にすら収まらぬもっと違った表記が発生する可能性すら有るのです。そのような無限の可能性による推測・仮定を一々認めていてはきりが無いので、古来より首尾一貫して豊後佐伯氏および同地方については「さいき」「さひき」「さゐき」のいずれかの表記が用いられ、「さへき」表記が用いられた事例は一切絶無である旨について、史料を博捜し、各々に精緻な分析を加えた上で、それに基づく明確な論証がなされない限りにおいては、『姓氏家系大辞典』に載せる「佐伯」の基本形表記(=「本来表記」)に則った「さえき」を採るのが至極当然でありまして、逆に、本来表記とは異なる「さいき」としているのが、地名表記変更に倣ってのことではないと唱える場合には、上記の手続き(博捜・精査・確証)の一切を完全に満たすことで、漸くその言に説得力が生じるということは、正しく自明の理と申せましょう。
>そもそも旧仮名が「さへき」ではない
との確証を得るための条件が満たされていない状況下で、推測・仮定による再改変や蒸返しが行われることを防止する見地からも、「本来表記」との明記は必要と考える次第です。

>『大分歴史事典』へのリンクを避けたい
これにつきましては、どうも私の説明が及ばず当方の意図をご理解いただけなかったようですので
>他者の編んだ事典の項目そのものへのリンクでは、どうしても例示・引証の域を超越し、完全にそれに寄生しているという観が否めない
という部分につきまして、改めて私見を示したく存じます。私の考えとしましては、いやしくも「事典」と自称するものが、ワンクリックで他人様の執筆した事典の、同じ事柄についての項目を、全文漏れなく閲覧出来る状態にすること(私の言わんとした「リンク」の意)は赦されるのか、という意味なのです。仮に、私が本名で署名執筆した事典の項目が有ったとして、そのweb版にこのような形でリンクが張られていたならば、「あくまでも手近に原本が無い一般の方々への便宜を図ったもので、他所の「事典」がタダで全文を丸々又借り出来るようにweb版を製作したんじゃない。いくら「孫引き事典」とは言っても限度というものが有るだろう」くらいのことは言うかも知れません。一見遠回りで面倒なようですが、流れとしましては、本項で『大分歴史事典』の存在を知った閲覧者が「大分歴史事典」などの語句で検索を掛け、その結果web版に辿り着くという過程を経るという手続きを踏むのでなければ、正当な引用の形式とは言えず、到底「又借り・孫引き」などの批難は免れ得ないものと存じますが如何でしょうか。「リンクを避ける・外す」とは、別の言い方を致しますと、ワンクッションを置いて直リンクを避けるべきという意味であって、「全く『大分歴史事典』を出典として示さない」ことを意味するのでは無い旨、ご理解いただければ幸いに存じます。

以上乱文長文を以て失礼致しました。--218.110.90.66 2010年7月30日 (金) 13:41 (UTC)[返信]

たびたびのご説明どうもありがとうございます。
ただ、この場での議論をもって『大分歴史事典』を誤りとするのはそもそも不適切である、ということはご理解ください。
あと、リンクが望ましくない、というのもこの場で議論する内容ではありません。井戸端等で議論すべき内容というよりも、World Wide Webとはそのようなものである、ということをご理解いただくほかないと思います(ハイパーリンクに関する議論等を見ていて、そのようなWorld Wide Webのあり方に賛同できない向きも多い、ということも理解していますが)。--KAWASAKI Hiroyuki 2010年7月30日 (金) 15:39 (UTC)[返信]

ご返答拝見致しました。

それでは、文面は
>豊後佐伯氏の仮名表記については、『国史大辞典』第6巻236頁「佐伯氏」の項(吉川弘文館、1985)および『日本人名大事典』第3巻37頁「佐伯惟治」の項(平凡社、1979)などに見える通り、他の佐伯氏同様「さえき」とするのが通例だが、一部には大分県佐伯市の現行地名表記(大正5年(1916年)制定)と同様に「さいき」と表記する例も見られる(以下『大分歴史事典』の出典情報)。
とするのは如何でしょうか。これで「さえき」と「さいき」の違いが何故生じたかという最低限の説明にはなろうかと存じます。

また、私の筆力至らず誤解を生じましたようですが、議論を以て『大分歴史事典』を誤りとする云々というのではなく
>もし現行地名に倣ってしまったのだとしたら問題ですが、むしろ何らかの史料をもとに「さいき」としたのではないでしょうか
>実際には「さいき」系統の表記が行われていたにもかかわらず明治初年に「さへき」とした、あるいは江戸時代には併用されていた、という可能性はないのでしょうか
という、当方による典拠提示後になされた、類推・仮定に基づく貴殿のご発問の内容につき、それを立証するには『大分歴史事典』だけでは不足であり、具体的にどのような内容が明記された、信頼できる公刊された二次資料を改めてご提示いただく必要が有るかを縷々述べたに過ぎません。私の説明が不十分であった点についてはご寛恕願いたく存じます。

リンクにつきましては、規則違反でない以上、当方は貴殿の編集内容を尊重致します。つきましては、文面再編集の手順をお手数ではございますが、

  1. 本文および註釈を合意内容に差換える
  2. 当方が『大分歴史事典』の現物を確認し『大分歴史事典』「x」の項(大分放送、1990)y頁表記に差換える
  3. 上記改変後に、貴殿に再びweb版へのリンクを張り直していただき、書誌情報の最終的な調整をしていただく

上記三段階の手順を踏むことで、作業を完了致したく存じますが如何でしょうか。

以上乱文長文を以て失礼致しました。--210.139.159.71 2010年7月30日 (金) 23:54 (UTC)[返信]

お返事がたいへん遅くなり、申しわけございません。
「さえき」と「さいき」の違いが何故生じたか、は本ノートで言及されている範囲内では説明できないように思います。私の意図はIP利用者さんのご説明を否定することではなく、断言はできない(「さいき」の表記が現行地名表記に倣っている可能性はあるが、そうではない可能性も排除できない)ということです(国史の知識もない立場からではありますが)。
例として、現在までに本ノートで言及されている範囲で、佐伯藩の読み仮名に註をつけるとこのような内容になるでしょうか。
「佐伯藩」『国史大辞典』 第6巻、吉川弘文館、1985年11月、136頁頁。ISBN 4-642-00506-4 なお、同項目では「佐伯」の読み仮名を「さいき」とする典拠、および江戸時代に通用していた仮名表記は示していない。1889年明治22年)に佐伯町(現佐伯市の一部)が発足した際の仮名表記は「さへき」であったが、1916年大正5年)に××により「さ×き」と改めている(適宜出典を追加)
こういった記載で明治維新以前の佐伯を「さいき」とすることについての疑問点を示すことができると思うのですが、いかがでしょうか。--KAWASAKI Hiroyuki 2010年8月8日 (日) 13:32 (UTC)[返信]

ご返答拝見致しました。

佐伯藩の仮名表記の註につきましては
>佐伯藩の仮名表記については、『国史大辞典』第6巻236頁「佐伯藩」の項(吉川弘文館、1985)などに見える通り、大分県佐伯市の現行地名表記(大正5年(1916年)制定)と同様に「さいき」と表記するのが通例だが、『日本歴史大事典』第5巻46頁「佐伯藩」の項(河出書房新社、1979)のように、改変前の「さえき」表記を用いる例も見られる。
程度の内容で十分に足りましょう。この種の註釈は簡潔を以て良しとすべきと存じます。一先ずはこの註記を「佐伯藩」の項目に付しておきます。なお、当方はCite bookテンプレートを使用致しませんので予めご了承下さい。

当方で『大分歴史事典』の現物を確認し、各項目の頁数を手元に控えましたので、これより順次補整を加えて参ります。また
>「さえき」と「さいき」の違いが何故生じたか、は本ノートで言及されている範囲内では説明できないように思います
との仰せではございますが
大分県佐伯市の現行地名表記(大正5年(1916年)制定)と同様に
この文に果して紛れを生じる余地が有り得ますでしょうか。既に複数の典拠の比較制定時期の明示がなされている以上、理解を妨げるが如き要因は、少なくとも一般的な水準に照らせば無いものと存じます。当初の書換よりほぼ一月、貴殿がよもやこの間に『大分歴史事典』のweb版以外の資料、とりわけ紙媒体の資料を一切ご覧になっていない、などということは勿論無い筈とは存じますが、『大分歴史事典』という単一の情報源、しかもそのweb版以外の論拠となり得る相応の資料を示されずに、可能性を追求する独自の推論のみで只管「『大分歴史事典』が採った「さいき」という表記が地名変更によって生じた筈がない、そんなことが有ってはならない」と力説をされましても、当方には対応の致し様がございません。折角最初に
>単純に佐伯町・佐伯市の表記に倣っているわけではありません
と明快に喝破なされたのですから
>そうではない可能性も排除できない
という願望含みの憶測ではなく、是非とも典拠に即した「表記に倣っているわけではない」という理由を確と示していただきたく存じます。もしここで貴殿より当該理由の完全なる御提示をいただければ、以後の徒な再改変や蒸返しを予防する極めて有益な材料となりますので、お手数かとは存じますが、重ねてお願い申し上げます。なお、その御提示が無い限りにおいては、当仮名表記の問題については、これより執り行う補整作業の完了を以て一応の決着を見たものとし、典拠に即した確証に基づかぬ再改変・蒸返しおよび冗長化はこれを斥ける所存であります。無論現行の内容は不変のものでは無く、確証に基づく正当な補訂であれば大いに歓迎されるべきものと存じます。

此度の長らくの御付合に感謝申し上げます。以上乱文長文を以て失礼致しました。--202.223.89.33 2010年8月10日 (火) 12:57 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

豊後佐伯氏を佐伯氏 (豊後国)に改名提案をします。昨年に私が改名した大蔵氏 (豊後国)の前例があります。--森園千歳会話2012年4月25日 (水) 08:52 (UTC)[返信]

どなたも、意見を述べなかったので改名移動を実施します。--森園千歳会話2012年5月4日 (金) 04:18 (UTC)[返信]