ノート:伍子胥

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「自殺した人物」[編集]

君主から死を賜って自刎したり、国が完全に滅びて自決したり、敵軍に完全に囲まれて玉砕覚悟で突撃していった人々を「自殺した人物」と人括りにしてよいものでしょうか? というより、伍子胥や夫差項籍帝辛が自殺したと言われても、とても違和感があります。自分の意思で命を絶ったのとは違うでしょう? 屈原だって罠に嵌められて地位を剥奪された上でのことで諫死の意味もあり、単純な自殺とは違うと思いますが、如何でしょうか? このカテゴリーは不適当だと思われます。Kuro-hato 2007年1月8日 (月) 09:23 (UTC)[返信]

諱の読み[編集]

「諱は員(うん、『史記評林』ではえん)。」とありますが、『史記評林』っていうのは漢文ですよね。たぶん日本語に訳された文書かなにかを参照されたのだと思いますが、どうなんでしょう?『史記評林』を読んだことがあるわけでもないのでわからないのですが。しばらく反応がなければ適当に書き換えたいと思います。--Niboshi 2008年3月22日 (土) 10:11 (UTC)[返信]

漢籍には中国人にとっても発音が判然とし難い字句や複数の発音が考えられる字句があらわれます。漢籍の注釈書はそのような字句の発音について注を付する事が往々にしてあります。『史記評林』は『史記』の注釈書の一つとして明代に撰されたものであり、『史記』伍子胥伝において「員」の発音につき「えん」と発音する字を用いて音注を付したものと思われます(『史記評林』は未見ですが、いずれ確認しておきます)。
問題があれば当方か、より造詣の深い他の方により修正されるはずなので、現状のままにして頂いて結構です。--Сорасоуё 2008年3月23日 (日) 13:24 (UTC)[返信]
なるほど、そういうこともあるのですね。勉強になりました。浅学の身ででしゃばったことをして申し訳ありません。--Niboshi 2008年3月23日 (日) 14:50 (UTC)[返信]

『史記評林』は明の学者凌稚隆の編ですが、「諱は員(うん、『史記評林』ではえん)」という音の注は私は同書の中に発見できませんでした。『史記評林』には多数の学者の注釈が付いているのですが、「伍子胥諱は員」の所には何の注釈もないようですね(少なくとも史記三家注と凌稚隆がつけた注釈には存在しないと思います)。ところがこの本、江戸から明治の大ベストセラーだったと見えて多数の版本があるのですね。その中には藤沢南岳のような当時の学者がオリジナルの訓点を書いているものもあるので、その中に「えん」という音注が存在するのかも知れません…後考を待ちます。私は(国立国会図書館蔵・報告堂版、1885)を見ましたが書いてありませんでした。--松平俊介会話2016年6月6日 (月) 14:52 (UTC)[返信]

国立国会図書館デジタルコレクション「史記評林第六十六巻」を確認しましたが「えん」読みの記載はありませんでしたので、当該部分はコメントアウトいたしました。--ぽん吉会話2023年2月21日 (火) 00:47 (UTC)[返信]

夫差の最期[編集]

「伍子胥は正しく私が愚かだった。あの世で会わせる顔がないので、私の首は布で包んでくれ」と言い残し自らを恥じて自決した。 とありますが、太字の部分は史記には書いていないように思いますが、出典をご存知でしたらご教授下さいませ。--Pascal-hsmt会話2012年10月5日 (金) 22:37 (UTC)[返信]

上記の言葉は横山光輝氏の『史記 (横山光輝)』による夫差のセリフでしょう。私が『史記』を読んで確認したところ「私は年老いました。とても君主にお仕えすることはできません。伍子胥の言葉を取り上げずに、自分自身がこんなに陥ったのは残念です」と記されていたので、訂正しました。さらに久松文雄氏の『呉越燃ゆ』でも夫差が死ぬときに伍子胥に合わせる顔がないので布を覆っていた場面がありますが、横山氏の作品はその影響もあるでしょう(夫差が布を覆って自決する出典は知りませんが)。--オクヤマ会話2013年4月26日 (金) 14:36 (UTC)[返信]

あれからずいぶん経ちますが、『史記』越王句践世家をはじめて確認したところ、「伍子胥は正しく私が愚かだった。あの世で会わせる顔がないので、私の首は布で包んでくれ」と言い残し自らを恥じて自決した。の部分がありました。これは盲点でした。改めて訂正しました。--オクヤマ会話2013年9月4日 (水) 16:36 (UTC)[返信]