ノート:伊賀越え

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伊賀越えの場所について[編集]

本来 伊賀越えとは 国道163号長野峠手前を左折 芸濃町 落合にぬけるルート もしくは長野峠越えを指す。 地図で確認すると良く分かります。 本文のなかで示されているルートは伊賀越えではなく加太越えです。家康がどのルートを通過したかわかりませんが 長野峠越えが有力です。長野峠手前から芸濃に抜けるルートは整備されておらず不可能です。本文の内容を変更したいと思います。異論のある方はご意見ください。--houzyouhideyosi 2009年6月24日 (水) 07:07 (UTC)[返信]

  • 徳川家康が岡崎へ逃げ帰った行為としての「神君伊賀越え」は加太越を通って白子へ抜け、対岸の知多半島へ渡った説が定説となっているようですので現状もあながち間違いではないと考えます。ただし、場所としての「伊賀越」は三重県伊賀市と津市の間にある三重県道42号津芸濃大山田線の峠(標高507m)のようです。峠の記事としたいなら「伊賀越」("え"のない)とすべきでしょう。--Kansai explorer 2009年6月24日 (水) 12:34 (UTC)[返信]