ノート:以逸待労

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本項目の典拠について[編集]

「以逸待労」がもっぱら劉秀の戦略として紹介されていますが、これはいかなる文献を根拠とするものでしょうか。テキストの質に疑問の余地がないではありませんが、中文Wikisourceの「『三十六計』第4計・以逸待労」には

困敵之勢,不以戰;損剛益柔。
【按語】此即致敵之法也。兵書雲:「凡先處戰地而待敵者佚,後處戰地而趨戰者勞。故善戰者,致人而不致於人。」兵書論敵,此為論勢,則其旨非擇地以待敵,而在以簡馭繁,以不變應變,以小變應大變,以不動應動,以小動應大動,以樞應環也。管仲寓軍令於内政,實而備之;孫臏於馬陵道伏擊龐涓;李牧守雁門,久而不戰,而實備之,戰而大破匈奴。

とあるのみであり、劉秀には一切言及していません。歴代正史にも「以逸待労」の語句は散見されますが、『後漢書』においては馮異伝・耿弇伝に、王莽攻略や劉秀の統治方針とは無関係の場面で見えるのみです。「以逸待労」を劉秀の戦略とするのであれば、その根拠が提示されて然るべきでしょう。--Сорасоуё 2008年3月16日 (日) 04:16 (UTC)[返信]

『後漢紀』に見える、劉秀の詔勅を出典としました。字義・戦略とも「以逸待労」であると思います。--火扇 2009年5月23日 (土) 00:43 (UTC)[返信]

出典をご提示頂きありがとうございます。しかし『三十六計』の個別の計略の記事についてはあくまで『三十六計』のテキストのみを典拠とすべきであると考えています(ノート:三十六計参照)。--Fish40 2009年5月29日 (金) 15:46 (UTC)[返信]