ノート:仙石秀久

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永禄10年(1567年)、主君の斎藤龍興が織田信長との稲葉山城の戦いに敗れて落ち延びた後、 永禄7年(1564年)、14歳で織田家入りを

稲葉山城の戦いに敗れて、織田家入りであり、それは同じ年のこと。原因は、稲葉山城の戦いが1567年説と1564年説があるためであろうが、これでは、つじつまがあっていない。