ノート:仁木貞長

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貞長の活動時期について、戦国時代から室町時代へと修正がなされていましたが、これを更に室町時代(戦国時代)へと変更し、カテゴリーもそれに准じることとします。この曖昧な記述をなした理由は、下記の通りです。
戦国開始の契機としては、大きく応仁の乱と明応の政変の二つが挙げられます。そこで問題なのが、貞長の活動時期は応仁の乱の終わり頃から明応の政変の6年程前となり、何れを重視するかで彼は室町か戦国かと分かれるわけです。そしてwikiの記事(応仁の乱明応の政変)を見るに、近年の学会の動向として明応の政変が有力視されているとあります。125.28.188.45氏はこれを重んじて変更されたのだと思います。しかしながら、明応の政変に光を当てた京兆専制論への反駁研究も盛んであり(二極化論)、また応仁の乱の影響が軽視されているわけでもありません。曖昧模糊とでもいうべきでしょう。そこで、現状を踏まえて双方併記するというかたちを取りました。
まあ、そもそもは私が始めから気を付けていればよかったというオチがつくわけですが…。--播磨 司朗 2011年2月25日 (金) 09:47 (UTC)[返信]