ノート:仁木氏

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伊賀仁木氏は『尊卑分脈』など系図類に現れず、古記録などから浮き上がらせたようです。また不明と書いた伊賀仁木国行ですが、百瀬今朝雄氏が国行とは人名ではなく、「仁木の国行事は毎度正体なく」と読むべきだとの指摘をなされており、吉井・稲本両氏共にこれに同意を示されています。しかし、wikiの伊賀国の守護の項では仁木国行と記されている。そこで折衷案として、不明としながらもリンクを繋げるという怪しげな書き方を行いました。

また以前に要出典をつけた部分ですが、稲本紀昭氏は伊賀守護職は永享十二年(1440年)頃に山名氏から仁木氏に戻ったと述べられており、この説を受けて今回削除に踏み切りました。

そして戦国時代について、伊勢・伊賀の仁木氏を混同している節が見られますが、しかしながら、この頃の仁木氏はまだよくわからないのも事実であり、今回は削除せずに確かと思われる部分を追記するに留めました。その為に可笑しな記載になっていますが、ご容赦ください。--播磨 司朗 2011年2月19日 (土) 16:28 (UTC)[返信]