ノート:井上幻庵因碩

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手合割の書き方ですが、「先」「向先」「二子」「向二子」といったのが対局者間の手合割(を片方から見たもの)であって、「先番」「二子番」といったものが対局時にどう打ったか(置いたか)の表記であると思います。元の記載は、手合割を省略して、対局時の先後等だけを書いて、二子、三子といった場合は見易さのために「番」を省略するという書き方にしました(参照した「坐隠談叢」でも手合割は省略されていたので)。現在の書き方は、手合割と対局時の先後の表記が混在しているので(元の書き方も見た目的には混在でしたが)、うまいやり方を決めませか? --Sugitaro 2009年9月26日 (土) 11:13 (UTC)[返信]

なるほど、元の方針は確かに合理性があるようですし、私の記法も誤解を生みそうです。「対局者間の手合割」が不詳の場合もあるでしょうから、手合割と必ずペアにして書く、というような統一は難しいですね。既存の書籍でもSugitaroさんの記法が採用されているものがあるようですので、戻しておきます。お騒がせしました。--Futaru 2009年9月26日 (土) 14:33 (UTC)[返信]

すいません(懺悔)、「坐隠談叢」をよく見たら、先と先番、二子と二子番などは書き分けて記載されてました。ただ、この先番というのが、互先なのか先相先なのかはやっぱり分からないのですが(事情に詳しい人ならわかるのかもしれません)。増川宏一「碁」には手合組の史料の写真が載っていて、これには「本因坊(改行)先番二目勝 仙角」といった風に書いてあり、碁将棋相手組の説明文(たぶん史料の書写)でも「知哲(改行)先 策元」といった書き方になってます。「坐隠談叢」はこれらの史料を書写したのかと想像します。瀬越先生の「御城碁譜」は見たこと無いですが、「囲碁百年」では、手合割と手番、対局者の段位が記載されてます。「日本囲碁大系」では「坐隠談叢」と同様の書き方ですね。すると戦績の書き方として考えられるのは、

  • (1)手番のみ記載(現状の記事)
  • (2)(1)に先・先番などの書き分けを行う。(「坐隠談叢」)
  • (3)手番とすべての手合割を記載。(福井先生の書き方)
  • (4)(3)に段位を記載。(瀬越先生の書き方)

だろうと思います。(3)(4)は、手合割を段位や過去の対戦などを参考に推定しているのか、その他に資料があるのかの説明が無い。これをWikipediaに書くと、出典は示せるが、その根拠を説明できないのがつらい。また一般読者向けにそこまで詳しく書いて分かるのかが個人的には逡巡するものがあります(ついでに言うと裏を取るのがすごく大変で面倒くさい。あと「囲碁百年」では算哲が(「半名人」でなく)「準名人」となってたりするのを書き写しにくいなあとか)。(2)は史料に基づいているのかもしれないが、今となってはそれを断定できる根拠が無い、また手合割が不明の場合があるので、(1)に対して情報量を付加した基準が説明できない。ということで、Wikipediaの人物記事に記載するラインとしては、各種資料の根拠不明部分を丸めてしまって最低限の確実な事実だけ書くという基準を持っているということで、やっぱり(1)が適切かなあ、というのが今の私の考えです。例えば御城碁の記事に全対局結果を載せるといった場合には、多少の推定を含めて記載事項の説明をたくさん付けて、情報量を増やしたものにするといったやり方はあり得るとも思います。--Sugitaro 2009年9月28日 (月) 13:48 (UTC)[返信]

「福井先生の書き方」に若干補足させて頂きます。「碁界黄金の十九世紀」では、秀策の御城碁戦績で、(1)が採用されています。同様の記法は「秀麗秀策」「堅塁秀和」などにもあり、秀和の御城碁は置碁もありますが、それについても現在の表記事と同等の記法のようです。--Futaru 2009年10月2日 (金) 12:24 (UTC)[返信]

名前の読みについて[編集]

福井正明『幻庵因碩 打碁集-局前人なく局上石なし』(2005年)では「げんなんいんせき」ですね。--Sugitaro会話2024年2月5日 (月) 08:24 (UTC)[返信]

記述の修正ありがとうございます。一応確認したのですが、田村竜騎兵『物語り囲碁英傑伝』(2005年)も「げんなん」でした。便宜上の呼び名なのでどっちでもいいですが、記述の整理は後で考えます。--Sugitaro会話2024年2月7日 (水) 10:16 (UTC)[返信]