ノート:丹後国の式内社一覧

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式内社[編集]

式内社阿知江いそ部神社に関し、私は異論が存するという意味で備考に書いた。異論がある事は事実だろう。それが無いという根拠を示してほしい。『式内社調査報告』は著者が断定的に書いているが、私は(論)として併記してもいいとさえ思う。要返事。”Saigen Jiro”宛

「(論)として併記」なら特に問題は感じません。「どの文献でどう書かれているか」を全ての神社に関して書き始めると一覧表の可読性が損なわれますので、論社に関する議論の詳細は各神社の項目で記述されるがよろしいと考えます。--Saigen Jiro会話2016年9月29日 (木) 04:25 (UTC)[返信]


納得できない。以下

  • 私は式内社比定に異論として備考、併記が適切だと言っている。「神社の項目で記述されるがよろしい」では何の意味もない。
  • 「どの文献でどう書かれて・・・可読性が損なわれます」。私の編集だけで可読性が損なわれたとは思っていない。
  • 『式内社調査報告』の根拠は京都府与謝郡誌(昭和初期編)だけ。いそ部神社「明細帳」によっている。各神社の社史は手前味噌になりがち。編集も昭和初期だ。古書類は全て須津村にあるとする。成立はいずれも江戸時代中期から後期。儒者が3代にも渡って調査した例もある。言わんとするところは、単なる異論でなく明確な根拠があるということ。
  • 『式内社調査報告』の著者は岩屋の方を「いそべ神社としておきたい」といい加減だ。あやたはなぜ、式内社比定として備考、併記に反対なのか。
論社として併記する分に異論はありません、と申しています(例えば「阿知江いそ部神社」の4つ下の「板列神社」項のように)。可読性についてですが、1つのcellの備考が長いために「丹後国の式内社一覧」の表全体が間延びしたのもあります。あとは「なぜ阿知江いそ部神社だけの議論が併記されるのか、〇〇神社の議論も載せるべきだ」として全神社の記載まで波及すればかなわないな、とも思います。いずれにしろ、現在の社名と所在地が加筆されましたらよろしいかと。細かいといえば細かいですが。--Saigen Jiro会話2016年9月29日 (木) 05:51 (UTC)[返信]