ノート:中道往還

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右左口峠の統合完了を受けて_2011年3月[編集]

さかおり様、統合作業ありがとうございました。ぜいたくを言わせてもらえば、右左口宿は現在でも近世期の街並みが現存していますから(こちら)、ぜひ街並画像がひとつあればなと思います。--でここ 2011年3月30日 (水) 07:59 (UTC)[返信]

でここ様、右左口宿のリダイレクト確認させて頂きました。youtubeも拝見しましたが、確かに右左口宿の街並みは画像があれば良いですね。機会を見て撮影したいと思います。また山梨県の観光地での総論加筆ありがとうございました。--さかおり 2011年3月30日 (水) 14:10 (UTC)[返信]
さかおり様、ありがとうございます。山梨では信玄公祭りも中止だそうですけど、産業の基盤たる電力に大きな打撃を受けたこの度の震災で、観光や文化行政も影響を受けざるを得ないであろうなと考えます。じわじわと影響が来るでしょうね。甲州財閥は東京電力の前身企業の経営陣でありますし、山梨県は水力発電所が多いですし、近代に若尾逸平がこれからは鉄道と明かりだと言って産業の基盤たる電力・インフラを整え、産業が発達しゆとりが生まれ、小林一三が展開したような文化・娯楽を享受できるようなゆとりも生まれる。
そうした根幹を突き崩したこの度の震災は個人的にも衝撃でしたが、甲州財閥も携わった電力事業の展開と産業の発達、そして観光や文化という構造は、山梨県のフィールドにおいても追っていけるような気がしています。なかなかそれを調べて加筆していく余裕もいまのところないのですが、中長期的にはそういう方向の執筆もしていけたらなと思っています。--でここ 2011年3月30日 (水) 15:47 (UTC)[返信]
でここ様、私もサービス業の個人事業主として今回の震災の影響を少なからず受けております。仰せの山梨県の電力事業では地元住民により取水制限が行われていた早川水系水力発電稼働率を上げる旨の新聞記事が昨日ありましたね。このあたりも折を見て加筆出来れば、と思っております。多難な状況ですが乗り切っていきましょう。--さかおり 2011年3月31日 (木) 03:00 (UTC)[返信]