ノート:世阿弥

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こんにちは

Toki-hoと申します。世阿弥について簡潔によくまとめれていると思います。 ただ以下の点、少し疑問があるので書いておきます。

■世阿弥の生母については「播磨国揖保庄の永富左衛門六郎の娘」ととなえられています。「河内国玉櫛庄橘入道正遠女」(楠正成の父の娘)は観阿弥の母ではないでしょうか。ご確認ください。いづれも上島家文書(江戸時代の写本)の発見で最近となえられた説で、学会においても認定されているとはいいがたい説だと思いますので、そういう説もあるということにとどめておかれてはいかがでしょうか。(なお小説家の杉本苑子氏『華の碑文』はこの説をもとに書かれています。)

■観阿弥が『伊賀国で大和猿楽の花形役者』についても、観阿弥はおおむね大和において活躍していたのが順当と思われていますので、『伊賀国』の記述をとられてもよいのではないかと思います。。あるいは、『伊賀 または 大和で』とされるほうがよいかもしれません。

■義持は、『猿楽』ではなく『田楽』を支持したのではないでしょうか。。田楽新座の増阿弥を支持したのだと思います。

■また世阿弥自身は『さるがく』の表記に『申楽』をもちいております。この点、表記の統一をどうはかるか、むずかしいところですね・・・^^;;


僭越でしたらおゆるしくださいませ。 もしよろしければ、以上の点、加筆させていただきます。 また、おひまなおりにお返事くださいませ。 Toki-ho 2004年8月22日 (日) 07:29 (UTC) [返信]

加筆、よろしくお願いします。異論があれば、またどなたかが再編集すると思いますから。関連記事もぜひ加筆をお願いします。Mishika 2004年8月22日 (日) 07:35 (UTC)[返信]
☆おおせにより、「生涯」の項、思い切って加筆させていただきました。不都合な点などありましたら、またご訂正ください。  Toki-ho 2004年8月22日 (日) 14:34 (UTC)[返信]

初めまして。柏木ゆげひと申します。Wikipediaには不慣れなのですが、世阿弥など能楽のことについてはいろいろ興味を持っておりますので、どうかよろしくお願いいたします。いくつか意見がございますので、書かせていただきます。

・上島家文書関係のことは学会では認められておりませんし、「播磨国揖保庄の永富左衛門六郎の娘」云々を載せる必要はないと思います。不詳とのみで良いのではないでしょうか。

・「世の字の発音が濁るのは、足利義満の指示によるもの。」と明記する以上、最初の項目名は「ぜあみ」のみで良いと考えます。「せあみ」の読みを載せる必要はないのではないでしょうか。

・「猿楽」と「申楽」に関しては、世阿弥とその後継者たちのみが「申楽」の字を使い、一般的には「猿楽」だったので、どこかに「世阿弥は"神楽"に通じる申楽の字を好んだ」と記して、基本的に「猿楽」に統一でよいように思います。

以上、いかがでしょうか?--柏木ゆげひ 2008年6月19日 (木) 04:01 (UTC)[返信]