ノート:ヴェストファーレン条約

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「神聖ローマ帝国」の項のノートにも書きましたが、昨今のドイツ史ではヴェストファーレンを「死亡診断書」と見なすのではなく、その積極的評価が始まっているようです。こういった流れも反映しては如何でしょうか。 あと、

この結果、ドイツへの勢力伸長を果たしたフランスとスウェーデンは帝国議会への参加権を得た。

スウェーデンは参加権を得ましたが、フランスは得てなかったはず。

フランスは宰相リシュリューの元、国王ルイ13世をケルン大司教(選帝侯)にし、最終的には神聖ローマ皇帝位を狙っていた。

ルイ13世がケルン大司教になったことってありましたっけ? 以上疑問点です。

カラジチ 2007年2月24日 (土) 09:13 (UTC)[返信]

誰も反応しないので書き換えることにします。ヴェストファーレン条約の積極的評価、それから帝国からのフランスの排除について書き加えました。 カラジチ 2007年11月2日 (金) 03:41 (UTC)[返信]

日本では一般的な「ウェストファリア条約」の名称について、英語版記事の名称であります"Peace of Westphalia"も冒頭に付しました。何か問題ありましたらここにご報告ください。 --Rarcov 2008年6月1日 (日) 11:17 (UTC)[返信]