ノート:ランバダ

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盗用[編集]

よく憶えていないけど、裁判でブラジル側のプロデューサーか何かが負けてカルカス側に金を払って決着したはずです。 --Ypacaraí 2006年4月19日 (水) 14:46 (UTC)[返信]

ブラジルのプロデューサーですか?フランスじゃなくて? 実は、カルカスに補償されたということを書いたページもあったのですが、個人のブログのようなページで、信憑性が極めて薄かったので記述には盛り込みませんでした。確認できるソースをお教え願えませんか?--Hachikou 2006年4月19日 (水) 15:08 (UTC)[返信]
ああ、フランスでしたね。忘れてた。探してみます。それと復活おめでとうございます。 --Ypacaraí 2006年4月19日 (水) 22:39 (UTC)[返信]
『!HOLA! AMIGOS 第11号・特集ボリビアII~チャランゴ百科』(ラテンアメリカ友の会・1990)36ページの「新しい世界へ!! ロス・カルカス」と題するカルカスのインタビュー記事に以下のような記述があります。
色々な問題をクリアして、最近「ランバーダ」は「泣きながら」のコピー・バージョンであるということが正式に認められ、全てのCDやレコード等に、作詞「ゴンサロ・エルモッサ」/作曲「ウリーセス・エルモッサ」とクレジットすることが義務づけられた。本来の作詞・作曲者がその権利を認められたことは当然といえば当然だが、特にラテンアメリカの著作権などに関しては、この当たり前のことが無視されてきたことが多いので、今後より一層の注意が必要だろう。
「今回の事件から我々は多くのことを学びました。(略)自分ではどうしようもできないという気分でしたが色々な方の努力でそれも解決に向かっています。」
ソースの雑誌は、カルカスと親しく、彼らのアルバムのプロデュースや来日プロモーターをしていた三村秀次郎氏が発行していたラテンアメリカ情報誌。話の中には当然、お金のことは出てきませんが「権利を認められた」ということは、補償にも当然からんでくる話かと思われます。また、『Latina』誌1992年11月号には、直接カルカスの裁判関連の記事ではなくて恐縮ですが、91年のABAIEM(ボリビア演奏家協会)設立に関する木下尊惇氏の記事が掲載されています。
「ABAIEM最大目標のひとつであった著作権の法的確立問題は、(転記者注:92年)3月末に上院に提出され、4月には政府の承認を受けて新たな法律として認められた。かなり昔から取り沙汰されつつ、ロス・カルカスの"ランバーダ訴訟"で、一気に表面化したボリビア音楽の著作権問題は、これで一応のバックアップを受けられるようになったのである。」
正式に「いつ、どこで」という情報がなくて申し訳ありませんが、こうした同時代性の資料以外にも高場将美著『知っているようで知らないラテン音楽おもしろ雑学事典』(2007ヤマハミュージックメディア)のような概説書には、「結局、時間はかかりましたが(ウリーセスの死後)、正当なところに支払われることになりました」(193ページ)などと記載されています。--Atahualpa 2010年3月30日 (火) 14:06 (UTC)[返信]

ランバーダ[編集]

とりあえず記事名にあわせて表記を「ランバダ」にしましたが、もしダンスの分野では「ランバダ」よりも「ランバーダ」のほうが明らかに一般的であるようでしたら、記事名を「ランバーダ」に変えてしまったほうがよいかもしれません。ダンスの分野に詳しい方の意見をお待ちします。--Hachikou 2009年11月30日 (月) 01:42 (UTC)[返信]