ノート:ラトビアの国章

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

英語版翻訳による立項に際して[編集]

英語版より翻訳しましたが、以下の点にご注意ください。

0) 英語版よりの翻訳であり、リトアニア語からのものではありません。情報量の点でも補強が必要であると考えます。

1) この国章への復帰が、記事中では1990年となっていますが、独立を回復したのは1991年であり、不自然な記述になっています。ここでは英語版にしたがって1990年のままとしますが、コメントとして1991年ではないかと疑問を挟んであります。

2) PANTONEでの色指定があり、原文のまま(英語のまま)残しています。(削除するべきか、色の名称を日本語にすべきでしょうか?)

以上、万一、不適切な箇所などがありましたら、ぜひ修正、補強にご協力ください。--山田晴通 2010年2月22日 (月) 20:07 (UTC)[返信]

翻訳お疲れ様です。
さて、私もバルト史はそれほど詳しくないのですが、1) の年月の矛盾について。
1991年の正式な独立に先立ち、90年5月、ラトビア議会が独立宣言をしていますので、この際に国章復帰したものと推測いたします。
英語版ですが、en:Declaration On the Restoration of Independence of the Republic of Latvia が参考になるかと思います。--Ashtray 2010年2月26日 (金) 10:26 (UTC)[返信]
ご教示ありがとうございます。コメントアウト箇所に、加筆をしておきました。今後ともよろしくお願いいたします。--山田晴通 2010年2月26日 (金) 13:47 (UTC)[返信]