ノート:ヨハネ

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

なお、黙示録の記者ヨハネと福音記者ヨハネとは信仰が異なると見る学者もいるが、黙示録が書き記されたのは黙示録記者自身の記すように、パトモス島での啓示を受けた後であるので、そこに信仰理解の深まりがあるのが当然であり、キリスト教信仰の一貫性に齟齬を生じているという事実はない。

これは個人的には了解できることもあるのですが、しかし特定の立場を出しすぎているという気がします。除去するか、誰か具体的な人に触れて「……という見解を○○は主張する」とするのがよいと思いますが、いかがでしょうか。--Aphaia 2007年1月28日 (日) 00:16 (UTC)[返信]

これをやらかした人はこの日にヨハネ関係数記事を同じ論調で直してますね。私としては、福音書と書簡と黙示録が全部別人というのが今の聖書学の主流的見解だと思いますが、逆に主流だけに誰がいってるという人選が難しいような。日本でヨハネのエライ人というと、自派関連では松永希久夫という人がいますが。LR 2007年1月28日 (日) 02:31 (UTC)[返信]
私が意識してたのは、この伝統的な方のほうなんですが(今日珍しいですよね。超保守的。正教会やカトリックは教派としてはこちらですけども、それは聖伝を基にしているからこういうがんばりかたはしない)……全部別人というのは主流なんですかね。黙示録を除くヨハネ文書はむしろ喧々諤々だと思ってたんですが。福音書とヨハ1の関係あたりは意見の割れているところだと認識していました。--Aphaia 2007年1月28日 (日) 04:12 (UTC)[返信]
出典のない状態が続いたので問題の記述を除去しました。--ブルク警察会話2020年10月26日 (月) 04:15 (UTC)[返信]