ノート:ミュンヘン分離派

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ミュンヘン分離派の評価[編集]

小幡一『ドイツ世紀末の建築』(井上書院、1987)より:

  • 1892年、芸術家協会から78人が脱退し、結成。(p47)
  • ミュンヘン分離派の展覧会に全ヨーロッパから最高の作品(絵画・彫刻)が集まった。(p48)
  • 1896年頃から活動は下火になった。(元の)芸術家協会と共同で4年に一度展覧会を開くことになり、存在意義を失った。

小幡氏は「ミュンヘンでは、分離派運動はそれほど目立った成果をあげることができなかった」とまとめています。もっとも、その後も分離派の活動は続いているので、浮き沈みはあるかもしれませんが・・・。(ミュンヘン世紀末をテーマにした本を何冊か見ましたが、分離派についての記述はあまり見当たらず。ご存知の方はご教示ください。)  --忠太会話2016年12月5日 (月) 14:32 (UTC)[返信]