ノート:ニコライ・ロスラヴェッツ

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Gruppetto氏へ[編集]

編集合戦は避けたいので申し上げます。またこれに併せて、苦言も呈しておこうと思います。

初めに[編集]

ちゃんとした出典があるのに削ると言ってあなたはクレームをつけておいでですが、出典の信用性が問題なのではありません。あなたは作曲論的な観点から作曲家や作品に興味があるのかもしれませんが、読者の多くが必ずしも音楽理論を熟知しているわけではなく、また音組織や音楽語法についてマニアックな分析を求めているわけでもないということを念頭に置かれるべきでしょう。もしあなたがロスラヴェッツの音楽語法について書きたいのであれば、ロスラヴェッツの合成和音という項目を立てた上で、そちらで詳説することをお勧めします。

本稿においてロスラヴェッツ独自の音楽語法について簡略に説明することは容易ではなく、シェーンベルクだけとの比較論を書き加えることは明らかにバランスを欠きます。また、ロスラヴェッツの作品を聴けば、その作風がシェーンベルクよりもスクリャービンに似たものであるということは、ある程度のマニアックなリスナーであれば気付くことであって、分析的な蘊蓄を並べるまでもないことです。自戒を込めて言いますが、ウィキペディアは専門家やマニアの独占物ではないのであって、初心者やクラシック音楽の素人に対して敷居を低くする必要があるのだということをくれぐれもお忘れなく。

何故削るのか[編集]

出典の信用性を問題視して削除しているのではない、ということは先ほどにも書きましたが、どうやらお気付きではないようですが、先ほど参考文献一覧に追記した通り、あなたがお読みでいらっしゃるらしい書物は、実はわたくしも持っているのです。そして改稿する前後に際して、改めて読み直しました。だからこそ申し上げるのですが、あなたは安原先生の発言をきちんとは引用していない。改竄して独自の表現にしてしまっているのです。

比較対照させてみましょう。

 ロースラヴェッツは常に、「スクリャービンの後継者」として、あるいは「ソヴィエトにおける独自の十二音技法の創始者」として語られてきた。確かに、ロースラヴェッツ自身が認めているように、彼の技法は「シェーンベルクよりもスクリャービンに近い」ものである。彼の技法を「十二音技法」と呼ぶのは、ゴヨウィーの著作によるところが大きいが、今ではそのような見方は一般的でなくなっている。 — 太字はあなたが参照したと思われる個所
また、シェーンベルクとは別に、ロシアにおいて独自の十二音技法を発展させた作曲家であると見られることもあるが、彼の作曲技法を「十二音技法」とするのは適切ではない、という見解もある。 — 太字部分があなたの加筆箇所

安原先生は、ゴヨヴィ流の「ロスラヴェッツの音楽は十二音音楽」という発想を「一般的な見方ではなくなった」と言下に否定してみせているのですが、あなたの書き方だと、「適切ではないという見解もある」と、否定しているのだかしていないのだか、何やらすっきりしませんね。もし貴方が加筆したかったのであれば、地の文に埋め込むことをせずに、脚注として、安原先生の文章を抜粋した上で、出典を添えればよかったのです。たとえば自分だったらこうしたでしょう。

また、シェーンベルクとは別に、ロシアにおいて独自の十二音技法を発展させた<ref>「ロシア・アヴァンギャルド音楽の専門家である安原雅之は次のように述べて、シェーンベルクとその流派の音列技法と、ロスラヴェッツの音楽語法を同一視しないように注意を促している。「彼の技法を『十二音技法』と呼ぶのは、ゴヨウィーの著作によるところが大きいが、今ではそのような見方は一般的でなくなっている。」(長木誠司監修『作曲の20世紀1』音楽之友社、80~81頁、1992年)</ref>。

それから、あなたが加筆した部分に関連してもう一つ要望を出しておくと、その一語一句を付け加えることで、全体との整合性が崩れて齟齬をきたしたり、同じ内容をただ言い換えたことによっていたずらに冗長さを引き起こしたりすることにならないかという点に、細心の注意を払って頂きたいのです。貴方は何気なく、他意なく「彼の作曲技法を「十二音技法」とするのは適切ではない、という見解もある」と書き加えたのかもしれませんが、その何気なさが実に問題になるのです。あなたは、「十二音技法」と書いてあればそこにしか注意が行かないから、はっきり言いますが、余計な加筆をするのです。前書きの「独自の十二音技法」や、本文の「アーノルト・シェーンベルクの十二音による音列技法に近い」というニュアンスが、あなたにはお分かりでしょうか。それさえ分かっていれば、本文に「彼の作曲技法を「十二音技法」とするのは適切ではない、という見解もある」などとむやみに書き加える筈ありません。

あえて苦言を[編集]

余計な加筆と言えば、旧版のこれだってそうです。

「極左」「知的で創造的なプロレタリア」と公言していた(ここでいう「極左」とは、芸術的にも思想的にも極めて革新的、前衛的であるということを表明しているのであって、テロリストや過激派であると言う意味ではない点に注意が必要である)ロスラヴェッツの芸術的な方向性は、…… — Gruppetto (会話 、 投稿記録) による 2008年5月24日 (土) 04:08 (個人設定で未設定ならUTC)時点の版

「極左」と聞けば、どうして「テロリスト」や「過激派」と簡単に短絡してしまうのか、そして御自身にそういう連想が働いたからなのかどうかは知りませんが、他人にそういう余計な注意をするのか、まったく理解に苦しみます。同じように、履歴欄に書かれたあなたのこのコメントも、余計な発言です(ルイージ・ノーノを御存じないのでしょうか)。

(→生涯: 政治的に左派であることと、芸術的に前衛であることとは、必ずしも矛盾するものではない。) — 2007年9月2日 (日) 01:19 Gruppetto (会話 、 投稿記録) (12,818バイト)

文章は、書けばいいものではありません。 もっと作文の仕方や文章のまとめ方を勉強して下さい。--間久部緑郎 2010年8月5日 (木) 16:45 (UTC)[返信]

間久部氏には野田、菅野を批判する資格が無いことがよく判りました[編集]

ロシア・アヴァンギャルド音楽の専門家が「彼の技法を『十二音技法』と呼ぶのは、ゴヨウィーの著作によるところが大きいが、今ではそのような見方は一般的でなくなっている。 」と述べているにもかかわらず、「ロシアにおいて独自の十二音技法を発展させた。」という冒頭の定義文が適切だと考えているのですか?参照機能は必ずしも誰もが見るものではありませんよ。3リバートを正当化する理由としては全く成り立ちませんね。
読者の多くが必ずしも音楽理論を熟知しているわけではなく、また音組織や音楽語法についてマニアックな分析を求めているわけでもない
ウィキペディアは専門家やマニアの独占物ではないのであって、初心者やクラシック音楽の素人に対して敷居を低くする必要がある
だからこそ、このようなミスリードが百科辞典にあってはならないのです。 ウィキペディアンとしてあなたを多少なりとも尊敬していましたが、完全に間違いでしたね。あなたのような独善的人物にノダケンや菅野氏を批判する資格は全くありません。「アーノルト・シェーンベルクの十二音による音列技法に近い」ということと、「十二音技法である」ということには天と地ほどの差があるのことは、音楽理論の基礎を知っている人間には簡単に解ることです。文章の書き方云々を言う前に、音楽理論の基礎を勉強されては如何でしょうか。また、現在の日本において極左と言う言葉がどういうニュアンスを持つか、それが当時のロシアとは如何に異なっているか、ということもわからないのですか?
英語版を無謬の神であるかのように妄信するのもおやめ下さい。あなたは日本語版の利用者が築き上げたものを根底から無にして英語版の翻訳に刷りかえることがありますが、日本語版の利用者に対して失礼ですね。--Gruppetto 2010年8月5日 (木) 18:02 (UTC)[返信]

Gruppetto氏への返答[編集]

問わず語りであなたはご自身の正体を自分から進んで晒してしまわれた御様子ですね。
まさかと思っていたのに、残念な結果となりました。
以上。--間久部緑郎 2010年8月5日 (木) 21:51 (UTC)[返信]

追記[編集]

>「アーノルト・シェーンベルクの十二音による音列技法に近い」ということと、「十二音技法である」ということには天と地ほどの差があるのことは、音楽理論の基礎を知っている人間には簡単に解ることです。
誰が、その二つは同類だと言ったでしょうか。
自分が申し上げたのは、「ロスラヴェッツはシェーンベルクとは別に独自の十二音技法を発展させた」とか「シェーンベルクの十二音による音列技法に近い」という表現は、「シェーンベルクの十二音技法と完全に同じではない(似ているが非なるものだ)」というニュアンスを言外に含んでいるのだから、あなたにそれが分かっていれば、むやみに「シェーンベルクと違う」という一文を挿入することにこだわらずに済んだ筈ですよね、という話です。ですから「ニュアンスが分かりますか」と聞いたのです。
極左うんぬんについては、左派的な、ないしはリベラルな政治思想をもった人間に対してあなたが偏った見方をする人なのだということがよく分かりました、というよりほかございません。そのことを「日本では」などと、さも日本人が全般的にあなたと同じような見方をするかのようにすり替えるのは、ずるいと言わざるを得ません。
作文の勉強をするより音楽理論の勉強をしろと書いてありましたが、ならばわたくしも前言を撤回して申し上げます。
あなたは日本語の書き方もさることながら、まずは日本語の読み方(特に客観的な読み方)から出直した方がよろしい御様子ですね。--間久部緑郎 2010年8月5日 (木) 22:09 (UTC)[返信]


一体何が「正体」なのですか?日本語が客観的に読めていないのは明らかにあなたですね。この記事の内容と関係ない妄想と中傷を相手にするのはとりあえずやめておきます。
ロシア・アヴァンギャルド音楽の専門家が「彼の技法を『十二音技法』と呼ぶのはゴヨウィーの著作によるところが大きいが、今ではそのような見方は一般的でなくなっている。 」と述べているのですから、「ロシアにおいて独自の十二音技法を発展させた。」という冒頭の定義文が適切では無いのは明らかですね。それが判らないのだとすればあなたこそ日本語が根本的に理解できていません。安原氏の文章を(あなたが意図的に引用しなかった部分まで含めて)もう少し長めに引用してみましょうか。

「彼の技法を『十二音技法』と呼ぶのは、ゴヨウィーの著作によるところが大きいが、今ではそのような見方は一般的でなくなっている。彼の作品は、特定の音群の転置によって構築されており、それらの転置は調性に縛られず自由に行われる。この転置は十二回近く行われることもあるが、それが必然的とは言いがたい。ある音群が必然性を伴って十二の異なる音の上に転置されるのでない限り、これを『十二音技法』とするのは不適切である。 — ロシア・アヴァンギャルド音楽の研究者である安原氏の記述

「シェーンベルクのそれ」とか言う問題ではありません。ロスラヴェッツの音楽を「十二音技法」と呼ぶこと自体が不適切だということがまだわからないのですか?ちなみに、私は「シェーンベルクと違う」などという意味の文は挿入したりしていません。「十二音技法と呼ぶのは不適切という見解もある」という意味の文章を挿入したのですよ。この意味の違いすらあなたにはわからないのですね。 --Gruppetto 2010年8月6日 (金) 05:05 (UTC)追記--Gruppetto 2010年8月6日 (金) 07:23 (UTC)追記--Gruppetto 2010年8月6日 (金) 10:57 (UTC)修正--Gruppetto 2010年8月6日 (金) 11:01 (UTC)[返信]