ノート:ドナトゥス派

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キプリアヌス、アウグスティヌスを巡る記述の適正性[編集]

キプリアヌス、アウグスティヌスにとっては背教よりも教会の分裂がより罪深いことなのであった[7]。」についてですが、あくまでこれはマクグラスの受け取り方・評価でしかないでしょう。キプリアヌス、アウグスティヌス自身が「背教より教会の分裂の方が罪が重い」と述べた著作でもあるのでしょうか?そうでないのであればこの記述は削除されるべきです。

それから、「宗教改革者は神の恵みについて、アウグスティヌスの主張を受け入れたが、教会論を無視した。改革派神学者ウォーフィールドは、「宗教改革とはアウグスティヌスの教会論に対する恩恵論の勝利である」と述べている。[8]」についてですが、ドナトゥス派論争の概説に必要な記述でしょうか?アウグスティヌスには必要な記述かもしれませんが、ドナトゥス派の記事に入れられているのは奇異に映ります。--Kinno Angel 2011年2月10日 (木) 07:36 (UTC)[返信]

報告 1週間以上異論がありませんでしたため、上記二点の問題提起にかかる部分を削除させて頂きました。--Kinno Angel 2011年2月20日 (日) 10:53 (UTC)[返信]

この議論について気づいておりませんでした。また、ドナティスト派の記述については、いずれにしても、後代の理論、評価がほとんどです。「サクラメント」についての記述はあたかもローマ・カトリックや正教会が主張するサクラメント概念が存在したかのような説明しかありません。また、カトリック教会が「主流派」として記述されていますが、プロテスタント側からの評価はありません。聖体使徒継承の教会の偏重ともいえる編集であると考えられます。プロテスタント側からの評価として重要であり、復帰します。--イザヤ 2011年2月20日 (日) 11:02 (UTC)[返信]
>カトリック教会が「主流派」として記述されていますが、
これについて弁明というか説明しておきますが、プロテスタントからかようにドナトゥス派に同情的・共感的な見解があるとは知らなかった私が、ローマカトリックだけでなくプロテスタントも含めた形で「主流派」と表現したものです(そもそも私がローマカトリックだけを「主流派」と称する筈が無いのは、イザヤさんがよく御存知の筈です^^;)。またドナトゥス派論争につき、正教・ローマカトリックともに「教会論」ではなく「恩恵論」として把握する傾向が強いようですが(過ちを犯した主教による秘跡にも恩寵は働くという)、プロテスタントはそうではないのですね。この辺については私の無知によるものであります。修正に感謝申し上げます。
基本的に「プロテスタント」節を設けたイザヤさんによる編集に賛成しますが、現状、正教会の視点が消滅したかのようになってしまっています。これについては当方から改善に動くことになるかと思います。--Kinno Angel 2011年2月20日 (日) 11:15 (UTC)[返信]
アリスター・マクグラスイングランド国教会系の神学者であって自由教会系のミッションを展開する世界的な福音派内での主流とは言えませんが、マクグラスは『宗教改革の思想』を考察する中で、当時のローマ・カトリックとプロテスタントの論争の背景にあるドナティスト論争を詳しく分析しています。当時双方とも教父文書を持ち出して、相手に反論しました。対ドナティスト対策のあまり、アウグスティヌスは初代教会とは異なる「間違った教会論」「間違ったサクラメント論」を唱えたとカルヴァン主義やプロテスタントの多くではとらえます。サクラメント論がそもそも違うのです。また、カルヴァン主義神学では堕落した人間の中から、選ばれた者にのみ与えられる救済的な恩恵を強調します。選ばれた者あるいは「契約の子」と確認されなければ、そもそも礼典が執行されません。--イザヤ 2011年2月20日 (日) 11:31 (UTC)[返信]
この編集につき説明申し上げます。
かなりの部分が「カトリック教会の評価」節に移されてしまいましたが、幾分かは戻しました。
カトリック教会の主張を書く際には、可能な限りカトリック教会の出典に拠るべきと思います。ローマカトリックの主張やカルヴァン主義の主張を書く時に、正教のロシア人神学者が書いた比較神学書を主要資料として書く人は居ないでしょう。それと同じことです。まず正教について加筆しておきますが、ローマカトリックでの位置付けについても、カトリック百科事典などを参照して加筆する予定です。--Kinno Angel 2011年2月20日 (日) 15:27 (UTC)[返信]
よく見るとドナティストの項目は、サクラメント論が占めていますね。もちろんその問題はありますが、しかし、宗教改革時代からのローマ・カトリックとプロテスタントの議論は、分離の問題に関わります。サクラメントの有効性の議論についてはルーテル以外のプロテスタントでは決着済みです。改革派、メソジスト、バプテスト、いずれもエクス・オペレ・オペラートを認めません。--イザヤ 2011年2月20日 (日) 16:30 (UTC)[返信]
「当時どのような議論が行われたか」についてメインに執筆したものです。後代にどのような意義付けがなされたかについては、「プロテスタント」節の拡張といった対処をして頂ければ宜しいかと存じます。--Kinno Angel 2011年2月20日 (日) 16:34 (UTC)[返信]
ドナティストとアウグスティヌスの論争の当時、アウグスティヌスはキプリアヌスを引用して分離を非難したので、これはプロテスタント節以外のどこかにあってもいいと考えますが、加筆の予定があるということなので、しばらく待ちます。--イザヤ 2011年2月20日 (日) 16:47 (UTC)[返信]
いま他にも現実世界でもいろいろしなければならないことがあるので、短く書きますが、サクラメント論でいえば、アウグスティヌスは洗礼を受けていなければ、赤ちゃんであっても地獄に落ちるが、幼児は大人より犯した罪が少ない分、地獄で受ける苦痛は少ないと教えています。これはおそらく正教の理解でもないでしょう。--イザヤ 2011年3月3日 (木) 21:47 (UTC)[返信]
(多分jawpでの各種記事で御存知だと思いますが)アウグスティヌスによる堕落論を正教は採りませんし、アウグスティヌスをそれほど高く評価してはいません。ドナティスト論争でのアウグスティヌスの立場は基本的に評価されますが(もしかしたら細かい所では正教からも異論があるのかもしれませんが、基本路線は認めています)、アウグスティヌスの論全てが評価されている訳ではありません--Kinno Angel 2011年3月3日 (木) 23:15 (UTC)[返信]

参考文献節[編集]

  1. 『現代の宗教改革』クラス・ルーニア 小峯書店
  2. 『世界宣教の歴史』中村敏 いのちのことば社

以上二点については、参照されているのでしょうか?参照されていないのであれば削除すべきだと思います。--Kinno Angel 2011年2月20日 (日) 15:35 (UTC)[返信]

確認したところ、世界宣教は直接関わりが強い記述がなかったので、削除しますが、現代の宗教改革については参照しています。教会分離と毒麦理論に関わりがあります。今日におけるエヴァンジェリカルの基本的立場です。--イザヤ 2011年2月20日 (日) 16:09 (UTC)[返信]