ノート:ディキシーランド・ジャズ

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ジャズの譜面を下さい。

ニューオーリーンズ・ジャズとの統合の提案[編集]

現状ではニューオーリーンズ・ジャズディキシーランド・ジャズの2つの記事がありますが、これをひとつに統合することを提案します。音楽のスタイルとして両者に違いがあるとは思えず、平行して2つの記事を存続させる必要性を感じないためです。

英語版ではDixielandのひとつしかなく、その中で「ディキシーランド音楽は、ときにニューオーリンズ・ジャズとも称される」としています。日本語版もディキシーランド・ジャズを存続し、ニューオーリーンズ・ジャズはリダイレクトにすればいいと思います。内容的には後者の方が充実しているようなので、なるべく両者の情報を落とさないように統合する工夫が必要だとは思いますが。

ご意見があればお願いします。--Sumori 2009年3月16日 (月) 03:57 (UTC)[返信]

こんにちは。大和明『ジャズの黄金時代とアメリカの世紀』や油井正一編『ディキシーランド・ジャズ入門』などでは、両者の区別があります。おおむね、ディキシーランド・ジャズはニュー・オリンズ・ジャズのスタイルを模したダンス・バンド的な白人のジャズで、これを指して「ディキシーランド・ジャズ」の呼称が広まるのは30年代後半から、ニュー・オリンズ・ジャズという場合は、同地の黒人ジャズということになるようです。バンド名やCDのタイトルも含め、印象としても、そういうような違いを感じるのですが、同様の記述を英語文献で見た覚えがないのが、多少引っかかるところではありますが、ニュー・オリンズの誰かのCDのタイトルか、DDBBの誰かのインタビューかなにかで、「ディキシーランドじゃない」というような語句を見たような気もします。上記のような意味での「ディキシーランド・ジャズ」には、それほど関心がないので、あまり文献も持ち合わせていないのですが、もう少し調べてみます。--Ks aka 98 2009年3月17日 (火) 16:54 (UTC)[返信]

Ks aka 98さん、貴重なご意見ありがとうございます。ご指摘の書籍は見たことがないのですが、人種を違いとして挙げる意見は聞いたことがあります。ジャズの歴史としてはその通りなのでしょう。ただ今日では黒人、白人混ざってプレイしているバンドも多く、人種で分けること自体意味がないように思えます。音楽のスタイル、ジャンルとして両者は別物とは思えないのです。
僕もさほど詳しいわけではないので、詳しい方の反論があれば是非きかせてもらいたいです。--Sumori 2009年3月18日 (水) 05:51 (UTC)[返信]

一部を加筆した者です。文献としたヨアヒム・E・ベーレント著の『新版 ジャズ』を今一度引っ張り出してみると、ニューオーリンズというとクレオールやアメリカン・アフリカンによる1900年代に流行ったスタイルでマーチ・バンドに似た楽器編成であり、マーチングと同様に1,3拍目に強拍があるもの。ディキシーランドというとやはりODJBにより1910年代以後に流行ったもので、彼らのスタイルというと「殆どソロのない、パンチにとんだコレクティヴ・スタイル」だと書かれています(尚、10年刻みで区分したのは展望しやすくした為だとも書かれています)。

そして本文にも言及していますが、「本当のニューオリンズ・スタイルと区別する為に、白人ジャズを「ディキシーランド」と呼ぶ習慣が出来たが、両者の境界はハッキリしたものでない。特に後年になって、白人と黒人が一つのバンドで共演すりょうにんあってからは、なおさらである。」(原文ママ)と書かれています。--”D” 2009年3月18日 (水) 10:32 (UTC)[返信]

”D”さん、ありがとうございます。返事が遅れてすいません。
おっしゃるような歴史の中での区別については、同一記事の中で解説することでよいのではないでしょうか?記事の中でも言及されている通り、両者を分けることは難しい状況だと思うので、やはり2つの記事は統合してしかるべきと考えますがいかがでしょうか?--Sumori 2009年3月25日 (水) 17:37 (UTC)[返信]

ベーレントの記載はぼくも確認しました。ぼくの考えとしては、ニューオーリンズ・ジャズのほうでは、00年代からのジャズの成立、時代背景と、バディー・ボールデン、キング・オリヴァーほかブラス・バンドやミリタリー・バンド、編成が異なる、たとえばジェリー・ロール・モートンなども視野に入れたニューオリンズのシーンを中心に、今日に至るニューオーリンズのジャズのことが書かれ、ディキシーランドのほうでは、ODJBおよび白人のダンス音楽的なものに触れつつ、およそ30年代後半から、ニューヨークからニューオリンズへの回顧的な視線というようなものを書くことになるのではないかと思います。今日においては、いずれも過去のことになってしまっていますし、当然スタイルは似ているとしても、その言葉が指すのはスタイルだけではないですから、統合には賛成しがたいです。--Ks aka 98 2009年3月25日 (水) 20:15 (UTC)[返信]

Ks aka 98さん、ご意見をありがとうございます。このまま両者を存続させるのであれば、そういう感じになるのが理想でしょうね。個人的には、Ks aka 98さんのおっしゃる観点も、同じ記事の中で語っても問題ない範疇だと思っておりますが、仮にディキシーランド・ジャズの記事がニューオーリンズ・ジャズとの違いを示せる程度に充実すれば、2つ別個に存続させるのもありかなとは思います。
ただ、現状ではディキシーランド・ジャズの記事の内容は貧弱で、肝心なニューオーリンズ・ジャズとの違いについても「黒人によるジャズと区別する為に用いられていた」とあるだけです。あとは「定義は曖昧」、「音楽理論的側面においてはこの2つのスタイルを分ける要素はない。」などと書かれており、これでは別記事として体をなさないのではないかと思います。元々両者は全く別物ではないわけですし、このような理由から、現状では統合した方がすっきりすると思いますがいかがでしょうか?--Sumori 2009年3月29日 (日) 17:50 (UTC)[返信]
ええと。冒頭部から本論にかけての記述は異なりますし、その違いが以後の加筆の方向性を示唆するものとなっていると思います。分離したまま、それぞれの加筆が進むことが期待されますから、統合によって、キングオリバーの記事を書くべき場所が損なわれることや、ボールデンがディキシーランドジャズの項目に書かれるようなことが起こることを避けたいと考えます。繰り返しますが、スタイルは同じでも、語の持つ意味は違う「別物」というのがぼくの認識で、ボールディンらのことをディキシーランドジャズと称することは、問題があると考えます。ディキシーランドジャズをニューオリンズジャズと証することはあるし、それは問題ないけど、逆もそうだとは言えないですし、英語版でも、せいぜい40年代のリバイバル期のバンクジョンソン以外は、00年代のニューオーリンズの黒人のジャズには触れられていないのです。OEDを見ても、ディキシーランドはスタイルとしての用例が見られるというのもあります。資料としては、これまでに挙がったもののほか、ディキシーランドジャズについてはあまりまとまったものがないようですが、ニューオーリンズジャズについては、ジャズ批評のアーリージャズ特集やシュラーの『ジャズの起源』がありますから、加筆が困難なものではなく、ウィキペディアとしては、書き手が現れるのを待つのが望ましい項目だと思いますよ。--Ks aka 98 2009年3月29日 (日) 18:40 (UTC)[返信]
あえて性急には統合しなくても良かろうと存じます。現在の日本ではまだディキシーランド・ジャズという言葉も一般的に利用されていますし、google検索などでも38000件ほどHITするようです。(なおWikipdiaがTopにきております)
私見ですが、ディキシーランド・ジャズ=白人主体(NYに流れコマーシャル的に呼称されたもの)、ニューオーリンズ・ジャズ=黒人主体(シカゴに流れたもの)及び再発掘派、のような「雰囲気で」30年ほど前は日本で認識されていたかと、、、。
なお、両記事ともミュージシャンについての記述が少ないことが多少気になります(特に日本における歴史)。私が書ければよいのですが手元に資料が少ないもので要出典を満たせるかどうかで躊躇するところです。--Satchmo 2009年3月29日 (日) 19:22 (UTC)[返信]
Ks aka 98さん、Satchmoさん、ありがとうございます。ご意見を考慮し統合提案は取り下げたいと思います。その代わりといってはなんですが、両記事の充実にお力添えをいただければ嬉しいです。難しいテーマとは思いますが、よろしくお願いします。--Sumori 2009年3月30日 (月) 00:54 (UTC)[返信]

複数の問題に関連して[編集]

出典の明記と独自研究を貼付しました。上の節に見えるような議論があり、そこから10年以上も経ちながら、記事が十分に改善されていないのは残念です。特に、典拠がなければ独自研究と疑われる記述には要出典範囲を付けておきました。--山田晴通会話2020年1月28日 (火) 02:32 (UTC)[返信]