ノート:シンガポール華僑粛清事件

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記事名変更の提案[編集]

一般性からすれば、「シンガポール大検証」より、「シンガポール華僑虐殺」の方が記事名に相応しいと思います。例えば、googleでの検索で「シンガポール大検証」[1]でのヒット数は54件ですが、「シンガポール華僑虐殺」[2]では1440件のヒット数があります。「シンガポール華僑虐殺」という名称は東京裁判で用いられたものであり、一般性かれみてもこちらの記事名に変更した方がいいと思います。--Kitchener 2005年12月2日 (金) 13:33 (UTC)[返信]

私も日本人の目からだけではなく、歴史に出た言葉や現地人の目線も入ると思われる「シンガポール華僑虐殺」もしくは「シンガポール華僑粛清」のような記事名がいいと思います。
ところで、この記事は、いつまで保護対象になっているのでしょうか。ノートでの議論もないですし、そろそろ解除があってもいいと思いますが、私はどのようなプロセスで解除に向かうのかよくわかりません。--221.190.253.167 2007年12月22日 (土) 01:33 (UTC)[返信]

保護解除の提案[編集]

この記事は2006年11月19日より、長期荒らしとの編集合戦により無期限保護されていますが、保護期間が2年近くと長期に渡っていることにより、様子見での保護解除を提案します。また長期荒らしが来たら来たで対処、ということで。

特に異論がなければ、タイミングを見て保護解除を依頼します。--Tatsujin28 2008年9月20日 (土) 04:18 (UTC)[返信]

不明瞭[編集]

「辻政信の起案にかかる作戦計画」の部分が不明確です。言葉を濁さない。個人の名誉にかかわる問題ですのでよろしくお願いします。--183.72.89.208 2012年9月13日 (木) 22:16 (UTC)[返信]

>中国語では粛清 (sook ching[編集]

現代の「中国語」とされている公用語の官話ではSùqīn(スーチン)。sook chingはたしかどっかの方言での発音。一応、言っておこうと思ったので

改名提案[編集]

「シンガポール華僑虐殺事件」から「シンガポール華僑粛清事件」に改名提案します。

  • 井上ほか(2010)、林(1998)、岩川(1995)などを参照しましたが、「シンガポール華僑粛清事件」の呼称が一般的だと思います。
  • 「シンガポールで華僑を虐待・殺害した事件」はほかにいくつかあるので、区別するためにも「粛清」の方がいいと思います。
  • 中国語の呼称「粛清大屠殺」でも「粛清」という語が意識されていると思います。 --宇井木辺出夫会話2015年8月11日 (火) 02:59 (UTC)[返信]

コメント google books (網羅的ではないそうです)を見る限り

と、「華僑粛清」という用語が日本語で一般的であるとは言い難い印象を受けました。

一方、CiNiiを見る限り

スペスィフィックに研究対象とされているケースでは「シンガポール華僑虐殺」ないしは「シンガポール華僑虐殺事件」という用語が使用されていないのかなぁという印象を受けました。

  • ご提示いただいたWebでの走査結果から、どうしてTakabegさんがそのような結論が導かれたのか、私にはよく理解できませんでした。「シンガポール華僑粛清事件」という呼称しかヒットしていなくて、「華僑虐殺」でヒットしているのは英文の訳語だけのような。とはいえ「華人虐殺事件」としている文献(東京裁判ハンドブック)もありますが、マイナーな印象です。呼称についての考察はあまり見受けられませんが、『世界戦争犯罪事典』には『「昭南粛清事件」と呼ばれ、華人からは「シンガポール大検証」とも呼ばれている』とあります。ただ中国人は「シンガポール大検証」とは呼んでないかもしれませんが。--宇井木辺出夫会話2015年8月11日 (火) 10:01 (UTC)[返信]
「使用されていないのかなぁ」と書くところを「使用されているのかなぁ」と書いてしまいました。いずれにしても、決め手のないケースですね。Takabeg会話2015年8月11日 (火) 10:06 (UTC)[返信]
なるほど。それならよく理解できます。CiNiiによる論文検索の結果、「シンガポール華僑虐殺事件」は0件、「シンガポール華僑粛清事件」は8件(集約すると3件)ヒットした。少なくとも学術論文では「シンガポール華僑粛清事件」は使用されているが、「シンガポール華僑虐殺事件」は使用されていないようだということですね。(私ならこの傍証だけで改名OKにしますけれども)しかしそれでもなお「いずれにしても、決め手のないケースですね」とされているのは、「google books (網羅的ではないそうです)」による検索で、「シンガポール華僑粛清」等の語で検索しても、「シンガポール華僑粛清事件」という表題の本と、「シンガポール華僑虐殺事件」という表題の本が1冊ずつ出てきて、「『華僑粛清』という用語が日本語では一般的とは言い難い」という印象を受けられたからでしょうか。ただしかし、「google books (網羅的ではないそうです)」の検索結果には、私が今回記事を加筆するにあたって参照した、この事件についてまとまった記述のある文献5冊(井上ほか(2010)、林(2005)ないし林(1998)、岩川(1995)、東京裁判ハンドブック(1989))のうち1冊もヒットしていません。Takabegさんが付記されたとおり、google booksの検索結果は網羅的ではないし、その結果から「一般にどう呼ばれているか」を判断するべきではないと思いますが、いかがでしょうか。できれば、ネットでササっと検索するだけでなく、きちんと紙の文献もあたってから判断していただきたいですし、それが面倒なら編集者に一任していただいてもいいのではないかと思うのですがね。なお、これら5つの文献のうち、4件では「華僑粛清」ないし「シンガポール華僑粛清」事件、1件では(「華虐殺事件」ではなく)「華人虐殺事件」と呼んでいます。記事名が認知度の高い呼称になっていないと、検索してもなかなかヒットしなくて不便だったりするので、是非ご賛同いただきたいです。--宇井木辺出夫会話2015年8月14日 (金) 11:30 (UTC)[返信]

宇井木辺出夫さんに質問があるのですが、「シンガポールで華僑を虐待・殺害した事件」のうち特筆性のあるもの (立項可能なもの)にはどのようなものがありますか?Takabeg会話2015年8月11日 (火) 04:10 (UTC)[返信]

そもそも反対も賛成もしていなかったのですが、Wikipedia:記事名の付け方に照らして、このケースには決め手が欠けるという感想を述べたかったのですが、もう少し調べてみました。まず、google scholarですと、"シンガポール"+"華僑粛清"11件、"シンガポール"+"華僑虐殺"9件、ということで、こちらをみても「コモンネーム」と言えるものは存在しない感じです。BC級モノでは落とせない半藤一利秦郁彦保坂正康井上亮『BC級裁判を読む』(140~151頁)や岩川隆『孤島の土となるとも』(195~199頁) に加え、林博史『シンガポール華僑粛清』で使用されている点、『東京裁判ハンドブック』が今一つ中立性に欠けるとい印象を受けたことにくわえ、同書の当該項目「108 シンガポール裁判」(116頁) 及び「110 シンガポール華僑虐殺事件」(118頁) を執筆したのが内海愛子であり厳密な意味では「専門家」と呼べるか疑わしい点を加味して、シンガポール華僑粛清事件に改名してもよろしいのではないかと考えます。Takabeg会話2015年8月15日 (土) 07:08 (UTC)[返信]
google scholarでの検索結果に関して、「"シンガポール"+"華僑粛清"」と「"シンガポール"+"華僑虐殺"」の11件と9件というヒット数を対比して「コモンネームは存在しない」とされていますが、検索語を曖昧にしたために事件の名称と関係ない検索結果がヒットしているようですし、「"シンガポール華僑粛清事件"」と「"シンガポール華僑虐殺事件"」の検索結果の対比では6件と0件になるので、少なくとも後者はgoogle scholarの検索結果からも「コモンネームである」とはいえない、と思いますが、いかがでしょうか。結局、google scholarの検索結果はCiNiiによる論文検索の結果と大差ないということだと思います。名前も「scholar」になっていますし。紙の参考文献も確認いただいたようで、どうもありがとうございました。こちらについては私も利用者:Takabegさんとほぼ同じ感想を持っています。東京裁判ハンドブックの事件名は(別に内海愛子さんが「専門家」でないとかは思いませんが)先例からは逸脱しているように感じました。他の方からは特段ご意見もないようですので、改名しようと思います。どうもありがとうございました。--宇井木辺出夫会話2015年8月24日 (月) 10:43 (UTC)[返信]

編集依頼中[編集]

利用者:Japanese spiritsさんに以下の編集を依頼中です。ご参考まで。

この編集についてですが、

  1. 「命令の発信元…」以下では、前段で「会議の記録や証言はいっさい残っていない」としながら、後段で「多くの証拠や旧軍の関係者の証言から…」としている点が相反しています。また文脈上(記録や証言が残っていないのならなおさら)、ここで特に山下と辻、どちらが粛清の発案者か、というような話をするべきものとも思われません(つまり、文脈とほとんど関係ない記述だと思います)ので、編集内容を推敲いただけないでしょうか。
  2. 「虐殺の事実を…」以下のリー・クアン・ユーの体験については、以前の版にもあった記述を脚注に移記しています(本文に書くべきこととは思われなかったので)。利用者:Japanese spiritsさんの編集によって、記載が重複してしまっていますので、削除いただけませんでしょうか。また出典の参照頁を明記願います。
  3. 「河村・大石はむしろ虐殺に反対したが」以下は大西覚『秘録昭南華僑粛清事件』に基づく記述とされていますが、大西は事件の被告(当事者)であり、著書は一次資料に該当しますので、それを直接引用することは適切ではないと思います。また参考文献に挙げた他の諸資料でも、河村、大石に何の責任もないとか、辻が(辻だけが)責任者だ、といった捉え方はしていないと思いますので、記載内容を再度ご検討ください。

以上よろしくお願いします。利用者:Japanese spiritsさんが編集されない場合には、私の方で対応させていただきます。--宇井木辺出夫会話2015年8月24日 (月) 11:38 (UTC)[返信]

宇井木辺出夫さんを支持します。裁判での審理で辻の責任が不明確になった以上、辻に責任を押し付ける記述はすべきではないと思います。ただし「~という意見もある」式の両論併記はあってもよいと思いますが、あくまでも「責任の所在は不明」が原則です。--219.35.22.28 2015年9月7日 (月) 01:47 (UTC)[返信]


こんにちは。利用者:Japanese spiritsです。このたびはご意見ありがとうございます。ご回答します。

宇井木さん

1.「会議の記録や証言はいっさい残っていない」としながら、後段で「多くの証拠や旧軍の関係者の証言から…」は矛盾しません。ようは軍は公的資料や公的証言を残さなかったので裁判で被告は困った、そして戦後になって関係者からの明確な証言から説明されたことがあり、その証言は客観的に問題ない場合は、事実とみなせるべきです。」「山下と辻については3.に記載する」

お話のニュアンスは分かったような気がしますが、証拠が残っていなくて、関係者の証言に頼るしかないからといって、それを信じましょう、というのはちょっと違うかな、と思いました。--宇井木辺出夫会話2015年9月22日 (火) 14:29 (UTC)[返信]

2.「リー・クアン・ユーという国際社会に影響があり、日本に対して好意的な方であっても、このような事実を証言しているというのは、その虐殺の事実を後世につたえるために大切と、して記載しました」

加筆いただいた趣旨には特段異議ありませんが、修正をお願いしていたのは、単に記載内容が(おそらく、以前に利用者:Japanese spiritsさんが加筆された内容と)重複しているので、片方削除してください、というお願いです。すでにどなたか片方を削除されたようです。私はリー(2000)を読んで文面を少し修正しました。処刑される人は(トラックではなく)バスで連行されたようだ、と書いてあったのが印象的でした。--宇井木辺出夫会話2015年9月22日 (火) 14:29 (UTC)[返信]

3.「河村・大石はむしろ虐殺に反対したが」以下は大西覚『秘録昭南華僑粛清事件』に基づく記述とされていますが、大西は事件の被告(当事者)であり、著書は一次資料に該当しますので、それを直接引用することは適切でないとうことですが、「河村は自著でも虐殺に反対したと言っていますが、確証を確認するのは難しく、「される」と、私が書いたのはそのためです。辻が責任者で山下の共謀もしくは同調者だということは、旧軍関係者の証言がたくさんありますので、できるだけ引用注釈に記載します。辻が一部のテロリストの抽出と拘束ではなく、組織的虐殺を企画・推進した、山下は全面賛成したかどうかは別として、是認していることは、まず以上で間違いありません。

記載位置を移して、事件の当事者がそう言っている、ということが分かるように文面を少し修正しました。責任論について出典を追加されたい場合は、余禄のところにご記載ください。私は馬奈木参謀副長について少し気になっています。篠崎(1976)は擁護していますが、大西(1977)は「督戦してた」と書いているらしいし、田々宮(1986)は他の参謀も知らないはずないと書いていますし、林(2007)は不在者に責任を押し付けている可能性大、と考えているようですね。--宇井木辺出夫会話2015年9月22日 (火) 14:29 (UTC)[返信]

ここからは、219.35.22.28にも返答。

 裁判について申し上げます。裁判の結果は、辻の罪状は明らかにならず、河村・大石が責任を負った、しかもちゃんとした裁判で証拠の精査して、とのことですが、貴殿の意見には重要なポイントが落ちています。直接殺害した兵士にも責任はありますが、にも関わらず、シンガポールが指揮官のみの責任を採択(それも当時の住民の不満があっても)して、当時被告となった最上級指揮官の二名のみ死刑にした理由は、責任は上層部の命令にある、ということが判決の趣旨であり、裁判で調べた結果で、とみるべきです。では、しかし、もっと上級の命令すべき辻と山下がいないということは、いない人の罪を判断できないということです。何よりも不在である人は物理的にさばけませんし、しかも、公的な陸軍の記録は残っていないのですから責任主体は、河村・大石かどうかもわかりません。つまり、辻が免訴されたのは無罪だったことが明らかだったのでなく、逃げたためであります。辻が生き残ったのち、戦後、彼が行方不明(おそらくインドシで殺された)になったのちに、彼の戦時中の問題ある主体的行動が次々と明らかになったのです。その後、明らかになったのは、現場の河村などの指揮官が「短期間に適性で処刑の対象とする華人を集められない」という意見を申したが、指揮官山下と参謀の辻が、無茶な命令を無理強いして短期間に大量に無差別に華人を殺させた、という数々の証言です。当時の軍の指揮命令状況からして、十分に信頼できますし、大勢の証言は一致しています。山下の動機は、ひとつはマレー作戦の華人の抵抗が激しかったから脅威に感じたこと、もうひとつは中国の大陸政権のシンパを抹殺するために、かもしれませんが、そのぜひは問いません。もし、辻・山下に責任がないなら、河村、大石が主犯となりますが、当時の軍の構成からそういうことはありえません。それでも2名を処刑したのは、戦犯としてもっとも責任に近い人を処刑せざるをえなかった(それでも2名のみなのは、シンガポール人は不満だった)ということです。 以上、申し上げます。

冒頭の要約文の出典注について[編集]

  • 冒頭の、記事全体の出典に関する注記について。
    • 句点の後に付していますが、位置を間違えていたり、wikipedia日本語版のルールを無視しているわけではありませんので、機械的に最後の1文(だけ)の句点の前に移さないようにご留意願います。注の位置が気になってしょうがない方は、利用者‐会話:宇井木辺出夫#脚注の付け方についてもご参照ください。
    • 林(2007)は他の文献と違って1冊全部この事件の話題だけ扱ってるので、ページ番号は付さなくていいと思っています。異論があれば、ノートで議論してください。--宇井木辺出夫会話2015年9月24日 (木) 04:43 (UTC)[返信]