ノート:コンスタンティ・オストログスキ

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ベーラルシの話しはあまり関係ないと思います。そもそも、「オストログスキ家」(正確にいう「オストロジシキ家」)は、西ウクライナのヴォルィーニ地方のオストロフを本領とするルーシ(ルテニア)の公家です。「ヴォルィーニの主家」と「ルーシの無冠の王家」とも呼ばれた家柄です。ヴォルィーニは、ベラルーシより南、現在のウクライナに当たりますので、「ベラルーシの貴族」より「ウクライナの貴族」という呼び方のほうが相応しいかと思います。

それに加えて、「ポーランドの貴族」のという範疇も間違っております。ヴォルィーニはリトアニア大公国の領土であり、ポーランド王国のものであはりません。さらに、オストロジシキ自身は、ポーランド国王に忠誠を誓ったことがないので、ポーランド貴族の資格を有したことがありません。-- Alex K 2009年2月23日 (月) 12:07 (UTC)[返信]

このページを作成した者です。私は東欧のことについてはよく知りませんので、英語版を拙いながら翻訳させていただきました。確かに「ポーランドの貴族」については、外すべきかも知れませんね。大変有益な情報を下さったうえでのご指摘、ありがとうございます。
「ベラルーシの民族的英雄」という部分についてですが、そう見られているのは事実ではないのでしょうか?もし事実ならば、「その様に見なされている」という程度で残すことは出来ないでしょうか。これは「その地域を本領としていた」=実態というより、「その地域でそう見られている」=歴史的記憶に関する情報として載っているのではないですか?少なくとも、消す必要はないと思いますが。--Locust-of-abaddon 2009年2月25日 (水) 14:35 (UTC)[返信]
横から失礼します。お二方にはいつも素晴らしいページの数々のご作成、感謝致します。
  • 英語版が源泉ということであれば、英語ではポーランド・リトアニア連合のことを指して「ポーランド」と呼ぶことがしばしばあるそうなので、このページの英語版にしても、その意味において「ポーランド(・リトアニア連合)の貴族」と書いたものと想像されます。日本語版では、Alex Kさんのご指摘を参考にもう少し厳密に区分けした方がよいと思います(Category:ポーランドの貴族にかえてCategory:ポーランド・リトアニア連合の貴族を作るか、あるいはCategory:ポーランドの貴族を単純除去するか)。
    Category:ベラルーシの貴族については、現代の国境を基準にどこの貴族かと決めるのもナンセンスな気もします。もしかしたら、Category:ルテニアの貴族を作り、その上位カテゴリーにCategory:ベラルーシの貴族とCategory:ウクライナの貴族を置く、という方法もありかもしれません(前頁検討しないと不具合があるかわからないので、現時点でこれを全面的に推奨できませんが)。
  • 表記については、日本語文献をいくつか見たところ、専ら「オストログスキ」あるいは「オストロクスキ」と書かれるようですね(ポーランド語としては後者の方が正しいが、文献で使用されている以上、どちらでも可でしょう)。残念ながら、ルテニア語やベラルーシ語、ウクライナ語名での表記は確認できませんでした。
    ところで、英語版には「Ruthenian name Konstantin Ivanovich Ostrozhsky」とルテニア語名も表記されていますが、できれば日本語版にもその記述がほしいところです。しかし、私はルテニア語(の日本語表記)がわかりません。また、ウクライナ語版の家名のページを見ると、「ルシン人の貴族」と書かれています。そうなると、ルシン語も必要かもしれません(これまた日本語表記がわかりません)。
  • かねがね迷っていたのですが、この時期のポーランド・リトアニア連合のルテニア系の貴族については、いったい何語で表記したらよいのでしょうか。ポーランド系は現代ポーランド語、リトアニア系は現代リトアニア語で表記するようですのでルテニア系についても現代ルテニア語と行きたいところですがそんなものはありませんし、日本語文献でルテニア系の貴族がほとんど現代ポーランド語名で表記されていることから、現代ウクライナ語や現代ベラルーシ語(あるいは現代ルシン語)等で表記することにも躊躇があります。
    例えばルテニア系でポーランド王になっている人なんかはポーランド語名でいいような気がしますが、それ以外の何語を使っていたのか自明でない人や、あるいは家名のページなどについては検討の余地があると思います。家名は領地のあったところを基準にベラルーシ語なりウクライナ語なりとし、個人のページはその人のパーソナリティーを考慮してその都度決める、という方法もあると思いますが、そうするとやはり判断に困る人については問題が解決できなそうです。--PRUSAKiN 2009年2月26日 (木) 10:27 (UTC)[返信]

ご返答ありがとうございました。

  • 一、コンスタンティ・オストロジスキが生きた時代にポーランド・リトアニア連合はまだ成立しておりませんでした。存在していたのは独立したリトアニア大公国とポーランド王国のみ。両国の君主が君主同盟を結んでいたものの、国家連合までは未だいたらなかったのです。また、当時のヴォルィーニがリトアニアの領土であったので、当時のオストロジスキ家は「ポーランドの貴族」であることがありえません。物理的に不可能です。
  • 一、日本語文献の表記に関してはため息するしかありまえん。東欧の貴族についてのもっとも優れた研究は、ポーランど人の研究者が書いた論文ばかりです。ポーランド語風な表記は日本語文献に影響を与えているのでしょう。まあ、致し方ありません。時間が経てば、正確な「オストロジシキ」に直されるはずです。(ルーシの貴族にルーシ語の名前を)
  • 一、中世・近世の「ルシン人」は、現在のザカルパッチャに住んでいる民の人間ではなく、「ルーシ(ルテニア)の民」の人間を意味します。つまり、「ルシン人」は「ルテニア人」(ウクライナ人、ベラルーシ人)の同義語です。よって、「ルシン貴族」というのは「ルーシ人の貴族」という意味になります。

取急御返答迄-- Alex K 2009年2月26日 (木) 18:59 (UTC)[返信]

  • 失礼。そうでしたね。ただ、現在Category:ポーランド・リトアニア連合の貴族はないようなので、作った方がよいかは検討価値があると思いますが。
  • (ルーシの貴族にルーシ語の名前を)には賛成です。ただ、残念ながら私は「ルーシ語」がわかりません……。「オストロジシキ」(Острозькі?)というのがルーシ語名なのでしょうか?何か、当時のルーシ語の発音がわかる便利な情報源(できればウェブサイト)はないものでしょうか。
  • すみません、斜め読みしてました。仰るとおり、リンク先のウクライナ語版のページではそのような解説になっていました(現代のルシン人のページはこっちでした)。
  • ところで、この時代の「ルーシ語」のことも「ルシン語」と言ったりしますか?--PRUSAKiN 2009年3月4日 (水) 08:34 (UTC)[返信]
この記事の話題を耳にしたので読んでみました。IPアドレスで失礼します。
この地域の貴族は「シュラフタ」でいいのではないでしょうか?より正確にはシュラフタで、俗称はポーランド貴族。当時でもポーランド・リトアニア連合はしだいに「ポーランド」と俗に呼ばれるようになり、シュラフタたちは俗に「ポーランド人」と呼ばれるようになっていきましたから「ポーランドの貴族」にそう目くじら立てる必要はないのではありませんか?
当時のポーランド(ポーランド・リトアニア同君連合)がクレヴォの合同以後もルブリン合同以後もポーランド民族の国民国家でなかったことは周知の事実で常識であります。現代の多民族連合国家であるThe United Kingdomをイギリス、そこの人々をイギリス人と呼ぶようなもの。「イギリス人」がイングランド人のみを指すわけではありませんね。ですから「ポーランドの貴族」としても特にポーランド民族中心史観になる危険性はまったくないと思います。
しかしそれがどうしてもベラルーシやウクライナの民族感情的に嫌なのであれば、その感情に譲歩したものとして「シュラフタ」でよいでしょう。
「ポーランド・リトアニア連合」でさえも俗称ですね。この連邦国家の名前(ポーランド語ならばRzeczpospolita)について正確を期すならば「同君連合」、「共和国」、「連邦」などの言葉だけで、「ポーランド」や「リトアニア」は除かれます。しかし英語でも通常はThe Polish-Lithuanian Commonwealthと表記されます。
しかし大事なことですが、当時のポーランド人、リトアニア人、ルテニア人、ウクライナ人などにはっきりした「民族」という概念があったのかどうか。彼らの概念は「地方」に過ぎないのでは?地方地方で言葉が異なり、宗派が異なり、しかし大枠としてはポーランド王「である"人物"」を制度的中心とする連邦国家の一員であった、というのが正しいと思います。当時の人々にとっては当時のベラルーシは「ベラルーシ地方」、ウクライナも「ウクライナ地方」にすぎません。このことがなかなか理解されていないように見えます。この時代のできごとを記述するのに「民族」という近代(19世紀も半ばを過ぎてから)以降の枠組みや感情を持ち込むことには感心しません。 --125.0.19.210 2009年3月31日 (火) 10:09 (UTC)[返信]
「民族」的区別についてはいまさら理解されてないも何もないと思いますが、しかし、なるほど「シュラフタ」という区切りは妙案かもしれません。正直ですね、何系の○○というのを逐一付けていくのは煩雑なところもありますし、それに例えば「リトアニアの貴族」というカテゴライズが、「リトアニア人(民族)の貴族」なのか、「リトアニア人(国民)の貴族」なのか、「リトアニア国家の貴族(リトアニア大公に忠誠を誓っていた貴族)」なのか、あるいは「現代のリトアニアに相当する地域に領地を持っていた貴族」なのか、等々の曖昧さがあり、それは問題でもありますから(まあ、それは「○○の貴族」に限った話ではありませんが。例えば、「アメリカでのみ活動するイギリス人(民族)のイギリス国籍のアーティスト」というのは「アメリカのアーティスト」にカテゴライズすべきなのか、「イギリスのアーティスト」にカテゴライズするべきなのか、ウィキペディアでは基準が曖昧)。--PRUSAKiN 2009年3月31日 (火) 15:10 (UTC)[返信]