ノート:グランゼコール

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グランゼコールは「専門学校ではない」のか[編集]

外国の制度や言語を日本(語)に完全に置き換えることは困難であるということは承知しています。その前提のもとで問題提起します。「評価」の節でやたらと「グランゼコールは大学・大学院である」「専門学校・職業訓練校とは異なる」という趣旨のことが繰り返されています。これは果たして適切でしょうか。

大学・大学院の(社会的・学術的)位置付けは国や時代によって全く異なりますし、「専門学校」という言葉も厳密な定義のある言葉ではありません(同じ日本の中でさえ、明治時代と現在とではその指すところが全く違います)。「職業訓練」でさえも、どういうものを指すのか(どういうものを指さないのか)はっきりしません。その中で、はっきりと「〜である」「〜でない」などと言い切ってしまうことには違和感を覚えます。

日本語で言うところの「大学」という言葉には、かなり自由な場所というイメージが付きまといます。時折「レジャーランド」とさえ揶揄されるほどにユルユルで、在学中に他の活動をしながらでも卒業でき、ある種の牧歌的雰囲気を伴う、といったところです。卒業後の進路も多様で、工学部だからといって必ずしもエンジニアとなるわけではなく、東大だからといって官僚になるとも限らず(そもそも官僚の地位が日仏で違うという事情もあるでしょうが)、卒業後に他の学部へ入り直したりするのも自由で、入学者の年齢も様々、という状況です。日本人が留学先として選びがちなアメリカではその傾向がさらに顕著で、そもそも学部は4年間リベラルアーツ課程であることが一般的です。卒業後は大学院を2つも3つも出て学位を複数取る人も珍しくはありません。

それを考えると、フランスのグランゼコールは、日本人が日本語で「大学」と言ったときのイメージとは、かなりかけ離れていると考えられます。卒業生の進路が日本やアメリカの大学ほどに多様ではないこと、学校の教育課程が進路を相当強く意識したものになっていること(官僚養成もある種の職業教育と言えます)、そもそもの歴史的経緯として技術官僚の養成という具体的な目標に絞って設立されたこと、再入学があまり一般的ではないことなどを考えると、グランゼコールを「専門学校」に例えるのはあながち間違いとも言えません。ただフランスという国ではその「専門学校」が大学以上に重視されているとひとこと説明すれば済むことです。

実際、Universitésが「大学」と訳されている中で、それとは異なる体系の「学校」であるGrandes Écolesもまた同じく「大学」という日本語で解釈されることは不自然です。違うものならば違う言葉で解釈されるべきであって、だからこそ日本語では「グランゼコール」とそのまま音訳されてきたのではないでしょうか。その動きに逆行して「フランスには2種類の大学がある」と言ってしまうならば、苦心の末にGrandes Écolesをグランゼコールと訳さざるを得なかった過去の日本人の努力を踏みにじることにもなります。

無論、先述したように大学の定義が様々である以上「大学である」と叙述することも目くじらを立てて否定することはありませんが、記事中にもあるように「フランス事情に疎い日本人が多い」ということを認めるならば、グランゼコールを「大学である」と強調してしまうと大きな誤解を生みます。本記事の当該節が、どちらかというと「ものを知らない日本人に説教してやる」ような口調で書かれているあたりにも、百科事典としての改善の必要性を感じます(特に酷い部分については先ほど私自身で除去しましたが)。

そういうわけで、1週間ほど待って出典が示されなければ「大学か専門学校か」に関わる記述は除去致します。--核青会話2020年6月1日 (月) 05:31 (UTC)[返信]

反対意見がなかったため修正しました。修正前に残っていたやや高飛車な口調も、だいぶマイルドに変えたつもりです。--核青会話2020年6月10日 (水) 13:20 (UTC)[返信]